2016年10月17日~19日 2泊3日 福井県観光に行ってきました。メインはジップラインですが、熊川宿古民家宿泊 2日目は山中温湯で美味しい料理と温泉にゆっくりと浸かり命の洗濯、3日間大いに楽しみます。自宅7時出発 加古川の友人宅、大阪の友人宅へと・・一路福井県若狭町へと第一観光地瓜割の滝11時15分到着です。
 前方売店・瓜割の水を使った飲み物から、地元特産
くずまんじゅう、地元のとれたて野菜も販売されています。
駐車場側には全国名水百選に認定された
瓜割の滝の水汲み場がありました。
天徳寺境内を瓜割の滝へと天気予報では小雨模様が
天気の神様見放さず陽が射しています 
瓜割の滝 石碑  前方・・馬頭観世音がお祀りされているお堂に陽が
映えて新緑のよう、紅葉はまだまだ先のようです。 
天徳寺境内苔むした木々の中、瓜割の滝へと・・・ あれが瓜割の滝 ?? 
 天徳寺境内奥に「瓜割の滝」があります。山あいの
岩間から湧き出る清泉で、一年を通して水温が変わらず
夏でも水につけておいた瓜が割れるほど冷たい事から、
その名前が付けられたそうです。
瓜割の滝から湧き出る水は、幾重もの地層が自然の
フィルターとなり、長い歳月をかけて、ろ過した純度の
高いミネラル成分が溶け込んだ水となっているそうです 
瓜割の滝を背景に記念撮影です 石橋の上から瓜割の滝を・・・
瓜割の滝上部から四国八十八ヶ所巡りへと・・・ 大師堂・・・その昔弘法大師が四国八十八ヶ所を
模した霊場を開くために、佐渡の石工に
八十八体もの石仏を刻ませたと伝えられています。 
お堂の周りに1番~88番までの
御本尊が並んでいます。 
すべての御本尊は苔むしで長きの
歳月を物語っています。 
英霊殿・・内部は戦没者の
写真がズラリ並んでいました。
英霊殿側には祈平和の碑が・・・
英霊殿方面を振り返る  天徳寺・・高野山真言宗のお寺で泰澄大師の開基と
伝えられています。平安時代に村上天皇の勅願寺となり
その時の年号天徳が名付の由来と言われています。
庭園へと・・手入れが行き届いています。 あづまや前の池には色とりどりの
鯉が泳いでいます。

瓜割の滝ぶらぶら後、蘇洞門巡りへと
若狭フィッシャーマンズ・ワーフ到着  若狭フィッシャーマンズ・ワーフ 
2Fレストラン海幸苑でゆっくり昼食です。
友人二人は海鮮丼 1500円 
私はお刺身ダメなので、焼き魚定食 1080円 蘇洞門めぐり 乗船場へと・・1時間おきに出発 
2時出航 2000円割引券使用で1800円です。 
蘇洞門めぐりは、若狭フィッシャーマンズワーフの遊覧船
‟のせち”でいきます。若狭国定公園の奇勝「蘇洞門」。
奇岩・洞門・洞窟など6kmに渡り続き、小浜新港から
出航する遊覧船でその断崖絶壁を見物することが出来る。
所要時間は約50分。
「ゆっくり景色を眺めながら…」という感じがする
イメージの船ですが、乗ってビックリ!見かけによらず、
「蘇洞門遊覧船のちせ」、現地までかなりぶっ飛ばします。
蘇洞門めぐり地図 湾の外へでると、進行方向右側に
崖が見えてきます。 
三つ岩 二つ岩と・・
こうもり穴  こうもり穴ズームで 
奇岩・洞穴群が 6kmにも及び
次々と現れます。
 あみかけ岩・・岩に亀裂が入り、まるで網をかけたように
見えます。手前・唐津島・・一寸分かり難いかも知れませんが、
半島から少し離れて垂直に立ち上がる岩の島。昔、
南蛮人を乗せた「唐船」をこの島につないだところから
この名がついたとか
断崖絶壁で釣りをしています。
どこからどう行ったのか?? 
釣りをする人をズームで・・ 
夫婦亀岩・同じような大きさの亀が2匹おぶさっている
ように見える事からこの名前が付いたようです
白糸の滝・年中水量が変わらない
美しい滝です。
写真が蘇洞門めぐりの最終目的地で「大門・小門」です。
波がまったく無い時には、小さな門(穴)の先まで船で行き、
岩の上に上陸することができます。私が蘇洞門めぐりを
した時は門の向こうが崩れているため上陸する
ことが出来ませんでした。 
大門・小門は岩の中が打ち落され、周囲が柱状に
残ったため、船も通れるくらいの洞門となりました。
遊覧船は今にも門をくぐりそうなところまで
行ってくれます。自然が造り出した数々の
造形美は、しばし我を忘れさせてくれます。
奥の方に「吹雪の滝」が見えています。左側が「大門」・右側が「小門」と呼ばれています。小さく見えますが、「小門」の高さは大人の背丈の3倍以上あるそうです。
遊覧船は大門・小門でUターンします。遠くから見ても「大門・小門」はとても神秘的で、
長い年月をかけて自然が作り上げた造形だと思うと、とても神秘的に感じました。


熊川宿に向かうのにはちょっと時間的に早いので若狭おばま路マップで三丁町・古い町並み散策です。
(若狭フィッシャーマンズ・ワーフから車で2~3分) 空印寺近くに駐車です。
空印寺・・人魚の肉を食べて不老不死の力を得たという八百比丘尼が入定したという洞窟があるお寺です。
八百比丘尼が入定したという洞窟。立ち入り禁止になっていまうがちょっとだけ・・
八百比丘尼は洞窟に入る際に、「この椿が枯れたら私が死んだと思ってください。」と言って、
洞窟に入りましたが・・・その椿ってまだ枯れて無いんです。と檀家さんが
洞窟の高さは1.5m、幅2m、奥行5m。 
滴がポトポトとちょっと気味が悪いです。 
洞窟奥に八百比丘尼の石碑・・昔はもっと深かったようです。
国鉄が通ったときに洞窟奥を埋めてしまったんだとか。 
八幡神社 三丁町はお寺、神社が
多い街並みのようです。 
一つの山門に三寺が・・ 
石段の上は通行止めです。
上がって見ると線路です。
石段横の案内板に沿って行くと、
一つ目のお寺・栖雲寺 
二つ目のお寺常高寺 
山門の正面には線路が通っています。
常高寺本堂  常高院はお初の方
(織田信長の妹、お市の方の次女)の菩提寺です。
 三丁町・・・小浜は昔から京都と深いつながりを有してきました。若狭湾国定公園の中心に位置する小浜市は、
大陸と京都を結ぶ海陸交通の要衝として栄えていました。三丁町と呼ばれるかつての茶屋町には、狭い路地、
ベンガラ格子や出格子の家が軒を連ね、落ち着いた雰囲気の中にも当時の面影を残しています。
風流で、情緒的で、気品があって、旅人を思わず引き込んでしまう魅力があります。
海と山に囲まれた遊郭の町並み小浜市三丁町
今も生活のいたるところに京文化の面影が残っています。
明治期に建てられた料亭「蓬嶋楼」
土日祝日限定(午前10時~午後4時)見学ができます。
今日は休館です
 急に大雨です。軒下で雨宿りです。・・・その時料亭「蓬嶋楼」で案内をされている方と雨宿りをすることに・・
雨が上がるまで3丁町の事を詳しく説明して頂きました。【この界隈は江戸時代に栄えた遊郭で、
今も古い家並みが軒を連ねています。元遊郭だった家は、料亭を営んでいましたが、今もやっている家は
そう多くはありませんが表札には当時の屋号が掲げられています。と・・一階には格子が、背の高い二階には
すだれがかかっている家が多く残っており、当時をしのぶことが出来ます。】ヨと
小浜町並み資料館・・町家を資料館として改装 室内は手作り作品が展示してありました。 
うなぎの寝床と言われ奥に長くなっています。
間口で税を払うので間口を狭くしたとか 
中庭から玄関方面を
かまど 当時のままだそうです。 雨も上がりベンガラ格子続く街並みを
空印寺方面へと・・ 
熊川宿への途中、若狭湾に沈む夕日を・・・ ちょっと遅めに到着です。 
こちらのお部屋で夕食を頂きます。 
前菜・・麩の酢の物・豆腐の和え物 キュウリと人参の上に
黄色のタレ・・ちょっと何か分らなかったが美味しかった
焼鯖  鯖寿司かなぁと思っていましたが・・
煮物 蒟蒻とサツマイモの天ぷら/胡麻豆腐 
お汁・ご飯・漬物と素朴な料理ですが、最高でした。
今晩宿泊のお部屋です。 2階から玄関を見下ろす 
玄関は囲炉裏、テーブルなどと、
ちょっとしたお土産物もありました
夕食後熊川宿ぶらぶらですが、
暗くて何も見えません。 
お宿 旧逸見家 勘兵衛家住宅 (土日祝祭日を中心に一般公開されています。)
熊川村初代村長の逸見勘兵衛、伊藤忠商事2代目社長・伊藤竹之助扇の生家。江戸末期の
造り酒屋の主屋と蔵からなり、外観は町屋造りに復元し内部を現代風に改修されています。

   玄関・・・お部屋へと戻ります。
   1日目無事終了 明日は東尋坊へと



福井県旅行2日目です。朝食前に熊川宿ぶらぶらです。熊川宿の歴史・豊臣秀吉に重用され若狭の領主になった浅野長政は、天正17年(1589)に熊川が交通と軍事において重要な場所であることから諸役免除して宿場町としました。熊川は江戸時代を通じて大いに繁盛し、最盛期には1日に約1000頭もの牛馬が行き交ったといわれています.。現在は重要伝統的建造物保存地区になっています。
早朝の熊川宿 電柱がなくすっきりしています。 軒下に清流が流れる宿場町 
熊川宿は下ノ町、中ノ町、上ノ町と別れています。上ノ町へとぶらぶらです。
上ノ町・前川が流れています。この用水は上流の天増川の水を導入しものです江戸時代熊川は
火災が多発したため、これを防火用水として、また生活用水や灌漑用水として利用してきました
街道脇に大岩が「子守り岩」 
よく子供たちが遊びますが、怪我をしたことがないそうです。
ともあれこの岩は長い間人々の往来を見守ってきたのか!!
すすきが映える熊川宿 
熊川番所・・「入り鉄砲に出女」という言葉があるように物資の統制と物資の課税が行われていた徳川幕府の
時代熊川番所でも女子の通行手形改めや物資の運上徴収が行われていました。平成14年に熊川番所が
復元されていましたが、開館日は月・木・土、日で今日は火曜日休館日です。まぁ開館日でも早朝では無理かぁ
 河内川に架かる中条橋・・上ノ町と中ノ町を結ぶ
重要な橋です。橋の向こうが、私たちが
宿泊した旧逸見勘兵衛家
旧逸見勘兵衛家の駐車場にもなっている、宿場館熊川村
役場を改修した資料館で鯖街道関係の資料や民具などが
展示されている
そうですが早朝の為開いていません。
中ノ町 旧問屋 菱屋 勢馬清兵衛家は古くから熊川宿の
問屋や宿場の役人、小浜藩の御用商人を務めた家柄で
屋号を「菱屋」と言いました。屋敷は熊川宿の中でも
最大級で間口が28間、切妻、桟瓦葺、平入、木造2階建、
本屋の大屋根にはむくりが付けられ、外壁の板張り部の
朱色と白漆喰の対比が印象的です。 
御蔵道・熊川宿が設けられるとともに、年貢米を貯蔵するため、小浜藩では現在の松木(まつのき)神社境内に土蔵12棟を建て年貢米3万俵を収納していました。この蔵屋敷と川船運行が行われた北川をつなぐ通路として利用されており、重きをなしていたためか御蔵道の名前が付いています。板塀や石垣、水路と調和して情緒ある路地になっていました。 
 白石神社・熊川宿の氏神で祭神は彦火々出見尊、
白鬚明神、小浜藩主酒井忠勝公山の神が合祀されて
います。拝殿は坂のずっーと上のようです。
松木神社・・若狭の義民・松木庄左衛門が
お祀りされている神社 
義民・松木庄左衛門像庄左衛門は苦しみにあえぐ若狭の
農民を救うために立ち上がりました。嘆願十数回その意志を
曲げず、入牢され一人になっても願い続け慶安5年(1652)
日笠河原で磔の刑に処され悲願を達成しました。
時に松木庄左衛門は28歳の若さでした。
松木神社本殿は鳥居の先の坂道を少し上がった
ところにあります。また不思議な因縁ですが、
松木神社境内は、かって小浜藩の年貢米を
収納する米蔵があったところです。
得法寺・山門元亀元年(1570)徳川家康は織田信長に従軍し
越前朝倉氏との戦いの節
ここに宿泊したとき腰を掛けたと
いわれている「家康腰かけの松」があるお寺
松食い虫の
被害に遇い現在残っているのは根元だけです。
得法寺本堂
浄土真宗のお寺で蓮如上人もしばらく
逗留していたそうです。
街道両脇は鯖寿司やみたらし団子、お土産店が
並んでいますが開店前です。
朝食の時間が迫って
きたためお宿へと戻ります。
朝食 お味噌汁美味しかった。
朝食後、お部屋探索です  当時のままが保存されています。
ロビーのような感じになっています。 お宿の方との記念撮影です お世話になりました。
自然豊かな宿場町上ノ町~下ノ町、
ゆっくり車で走行
熊川宿下ノ町、西の入口です。
記念撮影を済ませ次の目的地へと
上の町 道の駅・四季彩館 ちょっとぶらり
鯖関連のお土産物が並んでいます。
道の駅にて 鯖街道背負い体験です・・
小浜・熊川・朽木・京都 出口へと
 小浜で水揚げされた生魚を鮮度を保ち京都の錦市場の朝市に出すため正午頃に熊川に届けられた後、
熊川経由を中心とする「鯖街道」を夜通し歩き最終目的である京都出口に運ぶ必要がありました。
そこで活躍したのが馬借です。また人力にも頼っており「背負い」は重さ40~60㎏の魚荷を
背負って運搬を行い、その途中には標高500mの花折峠や途中越えという難所もありました  


10時を過ぎました。越前海岸を通り東尋坊へと急ぎます。
越前海岸旅情公園で休憩 越前海岸旅情公園に恵比寿天満宮
恵比寿天満宮から眼下を・・
ご夫婦で釣りをされていました
越前岬灯台 越前海岸のシンボル的存在で、地元の
人々に愛されている灯台ですがちょっと期待外れ。
銭ヶ浜園地・・
公園のようですが釣り場のようです
本格的な磯釣りが楽しめるようです。
駐車場ではイカを釣り上げた人と出会いました
東尋坊 13時頃到着です。軽く昼食を済ませ、東尋坊へと東尋坊へと続く歩道には軒を連ねたお土産店が・・
50数年前に訪れた時はこんな賑やかではなかったような気が・・ 

【東尋坊の名前の由来は、とても力の強い東尋坊という僧がいたのですが、怪力を頼りに暴れん坊僧で手に余り困った住民や仲間の僧達が、寿永元年(1182)四月五日、酒に酔わせ断崖絶壁から突き落としたとして伝わっていますが、もう一つの伝説として真柄覚念(まがらかくねん)という僧と一人の女性をめぐり恋敵であり、海辺見物に誘われ酒に酔わされ、その時に真柄覚念と仲間の僧達に岸壁から突き落とされ、悲恋の舞台としての説も残っています】
東尋坊遊覧船乗り場を見下ろす
一周約30分 1400円 割引券利用で1300円 
世界にも東尋坊を含め3箇所しかないといわれる
「輝石安山岩の柱状節理」。この地質学的にも
珍しい奇岩を遊覧船から存分に楽しみます。
出航です。遊覧船から 遊覧船から東尋坊全体を望む
 荒々しい岩肌の柱状節理が延々と1kmに渡って続く勇壮そのものの東尋坊は、国の名勝・天然記念物に
指定されています。なかでも岸壁の高さが20メートル以上に及ぶ大地の断崖は勇壮というより壮絶で、
日本海の荒波が打ち寄せる姿は恐ろしいほどの迫力です
東尋坊先端に浮かぶ雄島へと遊覧船は進んでいきます。
日本の天然記念物に指定されています。
又心霊スポットしても有名です。
遊覧船から雄島の板状節理を・・・ 灯台も
ハチの巣に似た岩 赤い鳥居が微かに
大湊神社の鳥居だそうです
雄島 大湊神社鳥居と朱塗りの橋・雄島橋を
岩肌に洞窟のような穴が点々と 仲良く並ぶ夫婦岩とか??
切り立った岩の上は荒磯遊歩道に
なっています。
遊覧船は大池ギリギリまで入ってくれます。
仰ぎ見ます。
柱状節理を間近で・・  遊覧船から東尋坊タワーと切り立った岩肌を
遊覧船からライオン岩を ライオン岩を後方に 
遊覧も終盤を向えています。
時には波しぶきがかかります
30分遊覧大いに楽しみました
眼下に三段岩 波打ち際まで行ってみます。
下まで降りてきました。
滑らないように慎重に
屏風のように切り立った岩肌、壮絶です
波打ち際で記念撮影 
三段岩・・水面から25mもの高さ(ビルの8~9階くらいに
相当)から見下ろす景色はまさに絶景 おぉ怖わ
すぐ後ろは断崖絶壁です。
友人Vサインで記念撮影で~す
 雄島は東尋坊の先、周囲約2キロの越前海岸でもっとも大きな島。土地の人には昔から「神の島」とあがめられています。
朱塗りの大橋をわたり石段を登ると、歴史の古い神聖な大湊神社をはじめ島の上は神秘的な雰囲気。約1キロある
遊歩道では樹齢100年を超える大木や海食による崖など、東尋坊とはまたことなった景色を楽しむことができます。
朱塗りの橋を渡り雄島へと・・風がきつく飛ばされそうです
本土と雄島を結ぶこの朱塗りの橋の全長は、
224メートル、まっすぐに海を渡って行くことが出来ます。
雄島と大湊神社の鳥居・・
雄島は東尋坊で身投げをした人が流れ着くとか・・
鳥居の両脇に狛犬・・一見ごく小さな島ですが、橋を渡ると
別世界。植生の豊かさと、柱状・盤状節理の織り成す岩場の
表情で、さながら離れ小島を探索している気分になります。
島を逆回り(反時計周り)すると死ぬとか、霊を見るとかいう
言い伝えがあります。そんなの大好き
雄島 遊覧船から見たハチの巣岩を
間近で、迫力あるある
大湊神社へと石段を登ります
 時計回りに一周します。
石段の途中に又鳥居です 
結構キツイです。 遊覧船から見た赤い鳥居です。
鳥居から拝殿を・・ 拝殿前に社務所のような建物が 
大湊神社は、雄島にある唯一の神社です。源義経が落ち延びる際に立ち寄って家臣の兜を奉納したとか、
社が朝倉義景の後援を受けていた際に明智光秀が訪れて漢詩を詠んだという話も伝わっています。
真偽は別として、歴史ある神社であることが伝わってきますが、寂れた感じがします。
大湊神社を過ぎ西海岸の岩場が見えてきました 雄島の西海岸に見られる板状節理
  東尋坊を思い起こさせる流紋岩で出来た岩が乱立しています。そんな岩の中には、
磁石の方向を狂わせる磁石岩というものが存在しています。何らかの原因で、
その岩の周辺に磁界が出来て、磁石が狂ってしまうそうです。不思議です!本当か?
瓜割の水・・夏でも枯れない爪割りの水というものが
湧いています。これは湧水で、海水ではないようです。
周囲2キロメートを海に囲まれ海水じゃない、まじりっけ
なしの真水の湧き水があるなんて摩訶不思議です。
無人の雄島灯台 
散策の歩道は整備されており、途中、地形の
成り立ちなどパネルもあり好奇心も満たされます。
観光客も少なく楽しめます。 
薄暗い森の中に、うっそうと茂る姿は独特の雰囲気が
あり、神秘的で少し怖い感じがしてしまいます。
幹が不思議な伸び方をしていて、自然のすごさを
見て取ることができます。 
ヤブニッケイが生い茂っています。ヤブニッケイは
クスノキ科の木で、葉をもむと
「コカ・コーラキャンディー」の
香りがするそうです。時計回り一周 約一時間かかりました
 雄島から本土を・・
山中温泉へと
宿泊地 白鷺湯 たわらや
17時到着 お部屋です。
夕食まで時間があるので
温泉街ぶらぶらです。
ライトアップされた「あやとり橋」  あやとり橋・・鶴仙渓遊歩道のほぼ中心に架かる
ひときわ目をひく紅紫色のS字橋「あやとりはし」。日本の伝統的な遊び、あやとりを
模したデザインは華道草月流家元勅使河原宏氏によるものだそうです。
宿泊地 白鷺湯 たわらや 外観 前菜・茶碗蒸し・牛肉のしゃぶしゃぶ
好きな料理を3種類の中から選択できる会席料理Aグループ 
3種類を3人でシェアします。 特選牛ステーキ・焼きガニ
 ちょっと季節外れかも・あわびステーキ
Bグループ 治部煮 郷土料理です。治部煮とは鴨肉が
調理されています。白山豆腐刺身 お味噌で頂きます・
鯛のかぶと煮 これは美味しかった
お刺身 団子鍋も付いてます 
食べきれるか??まず無理 
ニシンそば・吸い物とお漬物栗の釜飯は食べきれず
おにぎりに(写すの忘れた)・・明日の昼食にでも
デザート2日目終了です。
明日はメインのメガジップラインです。



福井県旅行3日目です。
朝食前に山中温泉・鶴仙渓遊歩道をこおろぎ橋にむけて1時間程散策です。
温泉街を、昨晩渡った「あやとり橋」へと ちょっと色づき始めています。
あやとり橋から道明が淵を見下ろす。
鶴仙渓川床が下に見えます大聖寺川でも最も
美しい景色と言われているところです
鶴仙渓川床に小さな滝が・・
鶴仙渓遊歩道
整備は行き届き歩きやすい遊歩道です。
大聖寺川沿いに遊歩道が設けてあります。
散策には最高の季節です。
約25程で、こおろぎ橋到着 こおろぎ橋を下から・・周囲はもみじです。
紅葉すると圧巻かも・・ 
 鶴仙渓にかかる総ひのき造の橋で、山中温泉を代表する名勝地のひとつです。
「こおろぎ」の名の由来は、かって行路が極めて危なかったので「行路危(こうろぎ)」
と称されたという説と、秋の夜に鳴くこおろぎの声が由来だという説もあるそうです。
こうろぎ橋前に岩不動 こおろぎ橋から‟ゆげ街道”へと
ゆげ街道 ぶらぶらです。電線は地下に埋められ
すっきりとした街道になっています両側はお土産店が軒を
連ね、山中温泉の総湯「菊の湯」などがありました。
朝の散歩後は朝食です お鍋はお味噌汁、
温泉たまごは苦手なのでお味噌汁に入れて器も素敵です
美味しそうに見えます 実際美味しかったです
山中温泉から1時間30分程で、ツリービクニック アドベンチャーいけだに到着。 【今立郡池田町志津原28-16】
今回の旅行のメイン日本一のジップラインを求めて福井県まで来てしまいましたヨ~!
11時予約 30分前にセンターハウスで受付を済ませジップハウスへと・・・
階段を上がるとコテージ・BBQハウス・炊事棟などが設けてあります。
ジップハウスです ジップラインコース案内板
ジップ広場は紅葉が始まっています。 ハーネスとヘルメットが人数分置かれています。
ハーネスの装着の仕方は複雑そうに見えますが、
インストラクターが丁寧に教えてくれます。 
準備完了 最高齢81歳の方も挑戦です スタートタワーへと
前方スタートタワー スタートタワーを見上げる。
森と森の間を駆け抜けます
「メガジップライン」は、山の尾根(標高339m)からスタートし、2つの谷を越えて
往路480m・復路510mを滑走します。地上高60m(20階建てのビルに相当)。
飛ぶ前に係員さんから注意事項の説明を受けます。 「321GO!!」のサインでHさん大空へ飛び立ちます。
Hさんの姿どんどん小さくなっていきます 続いてMさんも「321GO!!」の
サインで大空へ飛び立ちます。
友人の飛び立つ姿写真に収め私は一番最後に 中間デッキへと・・ 
あっという間の経験ですが、目に焼きつく絶景と吹き抜ける風、吸い込む空気が
体に食い付くようで、ゴールしてもしばらく興奮はおさまりません。
興奮おさまりきらない中、
復路510mは一番最初に飛びます
続いてMさん
Hさんと・・ Hさん着地です。
 一度この美しさと興奮を知ってしまうと、メガジップラインは何度でも楽しみたくなります。
木々の間に設けてある、アドベンチャーパークエリアを・・
ピクニックコース・ツリークライムコース・キッズコース
などがあります 
ツリーピクニックアドベンチャーいけだ
全体の案内板 
メガジップライン十分楽しんだ後、ジップラインから
1キロほどの所にある‟かずら橋”へと
渡り料金300円
樹木の生い茂る足羽川渓谷にかかる橋で、
全長44m・幅1.8m・高さ12mの全国的にも珍しいカズラの
つり橋です。 四国のかずら橋と似ています 
独特の揺れもあってスリル抜群。 隙間が広く隙間にズボッとはまり込んでしまいそう。
こちらのかずら橋は、「橋の上で愛を誓うと永遠に
幸せになれる」ということで、恋愛成就のパワー
スポットとしても密かに人気を集めています。
【愛】という言葉は化石化しています。 
橋の先は公園のようになっています。
水車が回り、お蕎麦のお店もありました。
昼食はお蕎麦にするか昨日の栗の釜飯のおにぎりか? 
公園のデッキでおにぎりを食べることに・・・
まぁ美味しかった
かずら橋がかかる、足羽川渓流沿いは、全長約5㎞の
自然歩道となっています。ちょっとだけ歩いてみました。 
遊歩道からかずら橋を見上げる 車道からかずら橋を・・ 
かずら橋駐車場にガラクタ屋、近寄ってみると
能面研修館の看板が、右側が能面研修館 
中はこんな感じ・・撮影禁止になっていたようです
注意された
最後の行程、龍双ヶ滝へと・・・ 
部子川渓谷龍双ヶ滝の少し下流にある‟オウ穴”群。
何百年もかけてこのような形になっていったんだと
思うと、自然の力と時間の力は凄いです。
オウ穴とは川の中で砂利が水とともに渦を巻いたとき、
周りの岩を少しずつ浸食してできた穴のことです。
部子川渓谷にはいくつも点在しているとか…
県道34号、部子川に沿って走行 
カーブを曲がると突然滝が目の前に・・・
落差は約60メートルあり平成2年に「日本の滝100選」の
一つとして指定されました。この滝にはその昔ここに
龍双という僧が住み、神仏像を彫刻して一念行願を
したという伝説が残っています。
複雑な凹凸の岩肌に沿って勢いよく流れ落ちる
水滴の一粒ひと粒が、はっきりと見える美しい滝です。
龍双の滝は直接川に落ちるので滝壺はありません
間近までいくことが出来ます。
少し上流に小さな滝も見えます。
龍双ヶ滝前で記念撮影 滝展望台→の先60m、見ると行ってみたくなります。
 朽ち果てた手すりがある階段を登って行くと、展望台が・・木々が生い茂り全体を眺めることが出来ません。 
枝を伐採するといいのにあまり手入れがされていませんでした。ちょっと残念 


 行程全て終了です。帰るにはちょっと早いかなぁ・・・Mさん越前大仏に行きたいと・・・
地元出身の実業家、相互タクシーの創業者多田清さんが、1987(昭和62)年に5月28日にオープン
させたもので、当初は観光目的のテーマパーク的な存在。正式な寺院ではありませんでした。
2002(平成14)年12月20日に臨済宗妙心寺派の寺院に所属することになったので、現在は正式な寺院です。
  越前大仏到着ですが、人の姿がまったくないです。お休み??休業日があるのか?? 門前町らしいです
お店の名前が掲げられていますが、お店のシャッターが閉まっています。ほとんどゴーストタウン。
不気味さが……。漂っています 一人だと多分無理です。係りの人に聞くと今は研修場として使っているとか。
拝観料 最初は3,000円 2,000円と下がって行ったとか 今は500円です。
大門 大師山清大寺は、22ヘクタールにおよぶ境内には
大仏さまをはじめ、日本一の高さを誇る五重塔や大仏殿や
日本庭園などが配置されています。
大門両脇に仁王像
高さ8メートル
大門から100mほど進んだところに中門が存在します。
大門と大仏殿を一層引き立たせているのが中門です。
中門にも両脇大門と同様に二天像が安置されており
邪気を踏みつけて仁王立ちする姿は凄い! 
大仏殿  間口58m 奥行48m 高さ52m
鉄筋コンクリート造りの重層寄棟
大仏殿から五重塔方面を・・
境内はすごく広いです
 大仏本尊は、仏教伝来のルーツである中国河南省
洛陽市郊外の龍門石窟の中にある龍門棒先寺座像門を
モデルに造られています。像の高さは17m
 大仏右側には羅漢伽葉尊者(11.2m)文殊菩薩(10.3m)が
脇持仏として配置されています。
左側に普賢菩薩、羅漢阿難尊者が配置され、三壁面を埋め尽くす仏室には、1,281体の石仏や金仏がおさめられています。  回廊を抜け五重塔へと・・・
 五重の塔を見上げる・・塔内はエレベーターか階段で
昇降できるようになっています。各階には石仏や
金仏が安置されています。
1階に安置された仏さま・・一気に4階までエレベーターで
上がり、階段で5階の展望できるところに行きます。
五重塔最上階に阿弥陀如来・釈迦如来・薬師如来が
安置されていました。 
五重塔からの眺め。大仏殿のはるか遠くに見える
天守閣「勝山城」も越前大仏建立後、多田氏によって
建設されたとか。 
五重塔最上部から勝山市内を遠望
ズームで勝山城を 五重塔は相輪までの高さ75m、京都の東寺(55m)を
抜いて日本一の高さとか 
越前大仏の境内を順路に従って進むと、日本庭園は
コースの最後に当たります。
広い池を中心として、
日本庭園が整備され優雅に錦鯉が泳いでいました。
 
 最後に勝山城に立ち寄りです。正確には“勝山城博物館”
お城の外観をした博物館でした。
石垣に龍が・・・
5時を過ぎていたので閉館になっていました
 勝山城から沈む夕日を・・・
そろそろ帰る時間が近づいてきました。
勝山城博物館駐車場にあるお店で
ロールケーキとジェラードを頂きます。


大阪Hさん宅まで250㌔ 9時到着 大阪で中華の夕食を済ませ無事自宅着11時30分
3日間走行距離900㌔