2017年4月18日、語り部と歩く、熊野古道(伊勢路)ウォークに参加しました。熊野古道・伊勢路全12回で歩きます。
今回はツヅラト峠・荷坂峠道付近です。熊野古道は熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に参るための道として古来、多くの巡拝者が巡ってきた道です。その中でも伊勢から紀伊半島を東回りする「伊勢路」は代表的な道でした。熊野古道は世界遺産に指定されていますが、全てではなく部分部分が指定されているそうです。昨日は大雨、心配していた天気も晴天とは言えないがまぁまぁの天気です。
熊野古道、昔・今・・・遠い昔から、熊野三山をめざす旅人たちがてくてくと杖をつきながら往来した道。それが熊野古道です。紀伊半島の中ほどのあるこの聖地に向かう主なルートには、京・大阪から西回りでゆく紀伊路、伊勢から東まわりでゆく伊勢路があります。三重を通るこの伊勢道が開けたのは意外に早く、平安時代に出された歌集集にその名がみえる。【熊野へまいるには紀路と伊勢路と、どれ近しどれ遠し、広大慈悲の道なれば、紀路も伊勢路も遠からず】道は生きもの、歳月とともに姿を変える。地図上で見ると、熊野古道は国道42号線やJR紀勢本線に重なっておりすっかり姿を変えたかに思える。ところがてくてく歩きで旧道をたどってみると、ひょっこりと路傍に「くまの道」の道しるべ、野仏、巡礼の墓標・・・・峠道には苔むした石畳道がひっそりと続いている。歴史の証人、熊野古道は、古道ウォークを楽しむ旅人によって、少しずつ昔日の生気をとりもどしているようだ。
ツヅラト峠駐車場・・・モミジの大木、
新緑が眼にまぶしい
峠休憩所で昼食です。 
弁当・熊野牛のすき焼き・紀州うめどりのから揚げ
・出し巻玉子・酢の物・古代米
  11時38分
2時スタート、大内山川沿いをツヅラト峠に
向けて出発  12時16分
 熊野古道 全12回マップ  ツヅラト峠 マップ
ツヅラト峠道は生活道として昭和の初めごろまで使われていました。
ツヅラト峠案内板に沿って林道を進んでいきます。 12時24分
 ツヅラト峠への道しるべ 道しるべに沿って 
ヒノキの木立の緩やかな道を登ってゆくと
ほどなく小さなせせらぎが現れる
2班に分かれて語り部さんの話を聞きながら・・ 
林道にイノシシや鹿から田畑を守る為の石積みとか・・
昔は杉の木はなく、雑木林だったとか
林道横は渓谷
ツヅラト峠道の道しるべ 
ここから世界遺産指定部分 12時56分
ツヅラト峠の登山口・・・昭和の初め近くまで
紀伊長島の魚売りが行商に通う生活道でした。
駐車場、標高200m 高低差150m登ります。ヒノキ木立の道を行く
世界遺産指定部分を進みます。 標識にツヅラト峠06/18と書かれています。
 13時18分
木段を登るとツヅラト峠山頂 木段を登るとツヅラト峠山頂
熊野三山への信仰の道は伊勢の地からここツヅラト峠を境に熊野となり伊勢からの旅人はこの峠にたどり着き、初めて光輝く熊野の海を目にしたのがツヅラト峠(358m)です。 東屋周辺は木々の根っこがむき出しに・・・ 
熊野古道もともとの道・・・ 山頂から元の道には行かず新しく
できた道を迂回します。
山頂少し登ったところから熊野の海をワイドで 13時34分
山頂からの下り 下るとすぐに木々の根っこがむき出しの
道を登っていきます。 
ここからは急坂を下る。九十九折の急坂でそれが
ツヅラト峠と名前の由来になっているという。

根っこむき出しの道を下ります。 13時41分
切り立った斜面を慎重に・・ 
険しい斜面を折り曲って峠を続く古道の側面は「野面乱層
積み」とよばれる手法で築かれた
見事な石垣で補強され、
千年の古道が現在でも昔の姿を残しています。
11/18の標識 14時02分
谷に面してある石垣は、いにしえから長い風雨に耐え
道を護ってきた、いわば道路
保護の遺跡といえます
所々に滝が・・・ 
マムシ草 秋になると真っ赤な実をつけます。 杉木立の中の下り 石がごろごろ歩きずらいです。
標識 14/18 14時12分 切り立った斜面にシダが・・ 
炭焼きの跡・・・生木のままだと大量に持てないので
炭にして軽くし、持ち帰ったと・・・語り部さんが・・ 
シダの生い茂る古道を下山・・大石の上に
小石が積まれて、私もひとつ 
シダが生い茂る九十九折を下山 ツヅラト峠の名前由来九十九折を下山
標識 16/18  14時23分 高低差350m、下って下ってで〜す
下って下って・・・先を行く人が「脛が笑ってきた」と・・ 沢を渡ります。 石がヌルヌル滑らないように
語り部さんが手をかしてくれました。
昨日の雨で水が多いそうです。 
標識 17/18  14時29分 
ここからは約300mにわたって立派な石畳が残っており、いかにも古道といった風情が味わえます。
 深い緑のシダが生い茂る中をジグザグにと蛇行しながら麓へと・・・。
標識 18/18  14時34分  ツヅラト峠登山口の石碑 峠終点です。
最後の沢渡り・・・ あぁ足が笑っている人すってん 「熊野参詣道・ツヅラト峠道」の石柱が立っている。
ここで峠を越えたことになるが・・ 
ここからバス待っているところまで2550m
えぇ・・  14時37分
桜の花びらでピンクに染まった道を・・・
花の広場の枝垂れ桜 川沿いの道を、前方の山々も新緑
道路脇に庚申堂が・・・ 二級河川 志子川 42号線沿い 15時23分
道の駅紀伊長嶋マンボウで、
トイレ休憩とお買いもの 15時32分
道の駅から10分ほどで荷坂峠 
荷坂峠へと・・・江戸時代中期、徳川吉宗の時代に
紀州藩の街道整備に伴って「紀伊の国」
への
正式な玄関口となりました。勾配はゆるく道幅も
広いので歩きやすい道だそうですが、

今回は峠道付近まで・・・
茶屋の向側に石段があってその小高い所に寄棟瓦葺の祠が建てられ、その堂内に如意輪観音がお祀りされていました。また石段下の右側には足守り地蔵・地蔵尊と共に旅人の信仰を集めていたという。今この三基の石仏は道路改修工事の為二度移転され、大内山村河内地内にお祀りされているそうです。語り部さんから・・
茶屋跡・・・江戸時代,いつごろか定かではないがこの峠に旅宿を兼ねた茶屋が開かれ西国巡礼や伊勢参宮をする人々の憩いの場となっていました。明治末期から昭和初期にかけては人力車の中継地として客待ちの車が数台止り車夫の休憩所になっていました。今は跡形もなく「茶屋跡」と看板が掲げてあるだけです。  荷坂峠はここから・・ここから少し行くと
「憩い石」旅人が腰かけて休憩したことに
ちなんで
名が付いた大石、また見晴らしの良い
「沖見平」などがありますが、私たちはここまで・・・・
ちょっと残念
荷坂峠ちょっとだけ下ってパチリ  元の荷坂峠道、今は42号線が横切っています。
今回はここまで・・次回2回目5月27日です。
 
2017年5月27日、熊野古道・伊勢路2回目です。
始神(かじかみ)峠で合流する江戸道と明治道を歩きます。
始神峠は紀北町紀伊長島区と海山区の境に位置します
ゴール地点の始神さくら広場到着 
こちらで昼食のお弁当を頂きます。 11時24分
時間があったので浜辺まで下りてみました。
牡蠣があっちこっちにいます。
食べれる牡蠣か??
お弁当です。 熊野牛の焼肉・玉子焼き・高野豆腐の
あんかけ・金時豆・大学いも
炊き込みご飯 11時36分
始神峠 マップ  さくら広場から車で10分ほどの大舟橋から出発です。
語り部さんと軽く体操をして出発です。
始神峠へと・・・12時35分  ユズリハ・・・若葉が出そろったのを見届けて古い葉が
落ちるからこの名が付いた。
生命力を譲る、勢いを
絶やさない縁起物として祝い飾りにも使われます。
イノシシ除けのフェンスの道を始神峠へと・・・  始神峠休憩所 トイレも完備されています。 12時47分
始神峠へと林道を進む 水準点・・地形や構造物などの高さを測定する基準と
して設けた標識。
水準原点からの高さを記したもの。
主要国道に2キロメートルおきに埋められている。
 
水準点の側に宮谷池 ブラックバスが寄ってきます。
エサがほしかったのか逃げないです
始神峠 明治道へと・・語り部さんと先頭を歩きます。 木漏れ日の林道を・・・ 
明治道の所々に見事な石積みが残っています。
13時17分
ここは石積み? 岩盤?
丸太で補強された道を 大曲の又谷 手洗い場  ここで丁度半分とか
13時25分
ギシギシとしなる橋をカニ歩きで進みます。 走り根の道を歩く
板根がむき出しに 道は広く、なかなかいいコース  
左の岩盤は切り取ったのかなぁー 昔の人は偉い!! 
ツヅラド峠からお馴染みになった自然石を
上手く積み上げた「野面乱層積み」
明治道と江戸道分岐点標識  世界遺産として
登録されているのは江戸道  14時07分
「野面乱層積み」  山からの水の流れを
二分化して道を保護しているとか・・ 
2キロおきにある水準点が
ここかから江戸道 江戸道を登ると始神峠の展望台(標高147m)
14時16分
紀伊の松島の島々が熊野灘に浮かぶ
優美な景色が広がります。 
峠の展望台で休憩
茶屋跡・・江戸時代から明治の中頃まで
営業していたとされる茶屋跡の石碑 
江戸道を下ります。
一両の実  花と実が同時に付くとか 一両の花
シダが生い茂る江戸道  十二曲りの石碑  14時38分
十二曲がりを下ります。 2歩進み1段上がる
旅人の疲れを軽減した作りなっている
江戸道 ここから最後尾を歩きます。
シダの生い茂る中を・・  江戸道には排水のためや草鞋を洗うために使われたと
いわれる、洗い越しが数か所に
残っています。
江戸道に橋が架けられています。 さくら広場に下りてきました。  15時01分
曲がりくねった大木 どうしてこうなったのか?? 左フェンス内、宮川発電所敷地
これは何て花、蕾なのでわかりませんが多分タカラコウ。 始神さくら広場・宮川発電所フェンスの中にある
鈴木牧之の歌  15時12分
「始神峠」名の由来
始神はもともと「椒」(はじかみ)であり、山椒魚を意味します。
大舟川上流にブチサンショウウオが多く生息する故だそうですって。語り部さんが・・ 
 
2017年6月20日、第三回目、語り部と行く、熊野古道ウォーク 伊勢路編に行ってきました。三回目は素朴な海辺の町古里から歩き、道中のサボ鼻水平展望台から紀伊の熊野灘の風景を望み、沖合に浮か島を眺めながら道瀬海岸を巡り三浦峠(熊ヶ谷道)を越えます。ゴール地点は三野瀬駅です。
道の駅 マンボウ でお弁当の昼食です。 お弁当 バラ寿司 鶏照り焼き 季節野菜の炊き合わせ
おひたし 金時豆 玉子焼き
きいながしま古里温泉〜三野瀬駅地図 紀伊長島古里温泉出発です。 12時09分
古里海水浴場で準備体操です。 住宅地をサボ鼻道に向けて・・
ヤマモモの実がぎっしり 甘酸っぱくて美味しいです。 古里 素朴な海辺の町を歩きます。
遊歩道から準備体操した、古里海水浴場を望む。 前方、古里歩道トンネル
古里歩道トンネル・・ここを進むのか? このトンネルの手前から左の登り坂をのぼっていきます。
ノコギリ坂・・ノコギリの刃のようなアップダウンの続く道
(昔はノコギリ坂を通っていたようです)明治の頃からは
サボ鼻水平道ができたようです。
サボ鼻水平道を進む。
切り立った斜面を覗くと海です。
波の音を聞きながら・・・横の斜面は今にも崩れそうです。 サボ鼻展望台到着です。 12時50分
サボ鼻展望台から・・熊野灘を望む 展望台からも、サボ鼻水平道が続きます。
道幅は狭くあっちこっちに落石の跡が見られます。 サボ道を下る。 めちゃ急坂!!
足元に気をつけて急坂を下る。 振り返ると、二斑の人たちが
丸太の急坂が延々と・・・  急坂を下りきるとひっそりと、若宮神社が鎮座しています。
若宮神社鳥居 赤い橋を渡り道瀬海岸へと・・
道瀬海岸堤防を進む 堤防から赤い橋と若宮神社鳥居を望む
二班の人たちが後方から 
道瀬海岸にて小休憩 日陰がなく暑っいです。 13時17分 道瀬海岸沿いを三浦峠へと・・・
舗装された道を三浦峠へと・・ 三浦峠の標識が・・三浦峠への入口です。 13時34分
三浦峠(世界遺産指定熊ヶ谷道の峠) 三浦峠 (熊ヶ谷道)
歩きよい古道です。 ここが三浦峠の登り口です。
きれいな石碑と案内板があります。
登山口からは滑らかな登りになっています シダの生い茂る中を・・・
登り道は少し急な部分もありますが、きれいに
整備されていて歩きやすいです。
18/03標識 
三浦峠・道瀬側登り口、分岐点 写真を写しながら、一班 二班の中間を歩いています。
峠山頂付近から二班の人影を・・・ 三浦峠山頂 標高113m
峠を越え、なだらかな林道をくだる。 古道補強のため野面積みの石垣が
明治時代になって道幅が広くなったそうです。  下りはルンルンです スイスイと下って行きます。
斜面は緑の絨毯のようです。シダが生い茂っています。 走り根の道を・・・どの木の根??
伐採された木が散らばっています。
人件費が高いのでそのままになっているのだそうです。
先人達が歩いた道を・・・・今歩いています。
反対側登り口のところにきれいな橋(熊ヶ谷橋)が架かっています。
1944年に流失し、そのままになっていたが世界遺産登録を受けて復元した橋だそうです。
長さ14m 総檜造りで総工費2200万。  14時32分
熊ヶ谷橋前で記念撮影 橋からは道幅の広い林道を
集落まで下りてきました。 14時45分 集落に下りてくるとすぐに三野瀬駅があります。三野瀬駅で
ゴールです。駅舎は質素ですが、駅前はかなり広いです。
紀勢線 三野瀬駅ホームで記念撮影 1時間に一本もないのに、上り下りの電車が同時に・・
15時09分 
約3時間でサボ道・三浦峠を越えることができました。

2017年7月22日、語り部と歩く、熊野古道 馬越峠4回目です。
馬越峠は紀北町と尾鷲市の境をなす峠道です。尾鷲ヒノキの中を
約2キロにわたって美しい石畳が敷かれています。今回はその石畳を歩きます。
道の駅・海山が出発点です。 海山でお弁当の昼食です。ひじきご飯に熊野牛の焼肉・
玉子焼き・ナスの煮びたし・大学いも・紅白のなますです。
12時14分、道の駅海山出発
42号線を歩きます。
10分ほどで鷲毛バス停。
バス停前が登り口になっています。 
馬越峠地図 熊野古道・馬越峠(まごせとうげ)
石碑に銘板が刻まれています。
熊野灘沿岸は多雨地帯ゆえ、大雨にも道が損なわれないよう、山路は石畳道に造られています。この馬越峠は石畳が2キロにわたって続く峠道です。 自然石を組み合わせ段差を
少なくした石積みになっています。
江戸時代に造られたといわれるこの峠道は昭和の初め頃まで県道であった。
植林により狭められたところもあるが道幅は紀州藩の駕籠に合わせて一間半とられている、と語り部さんが・・ 
心地よい瀬音を聞きながら登っていくと、道の傍らに「夜泣き地蔵」の小さな祠が。明治の頃までは道中安全を見守る地蔵だったが、いつしか地区の人々が子供の夜泣き封じを祈るようになり、哺乳瓶がお供えしてありました  まむし草にとうもろこしのような実が・・
秋になると真っ赤になります。
小川にかかる大きな一枚岩の橋。
清流に手を浸してほっと一息。
石を丸呑みしたような大木。
しだいに木立が少なくなって太陽が照りつけます。 木立がなく日差しがキツイぃ。 暑い暑いです。
ちょっと開けたところで休憩です。
皆シャワーを浴びたように汗をかいています。
ヒノキの苗木が植えられ視界が広がっています。
熊注意の看板が・・・  わずかな石のすき間を縫って這いのびる
ヒノキの根がたくましい生命力を感じさせてくれます。
道はなだらかになり石畳もまばらとなって、やがて
土道となってきました。もう峠は近いようです。
馬越峠頂上が前方に見えてきました。ほっ・・・
14時13分
馬越峠頂上(標高325m) 紀北町と尾鷲市の境
明治の中頃まで多くの巡礼や旅人をもてなした
峠の茶屋があった場所ですが、今やその名残を
とどめるものは全くないです。
峠頂上に、江戸末期の俳人・可涼園桃乙
(かりょうえんとういつ)の句碑が建っています。
「夜は花の上に音あり山の水」と刻まれています
麓の馬越公園辺りで夜桜見物の時に
詠んだものだそうです。 
休憩後、頂上から尾鷲へと
急坂なのでロープを持って下ります。
頂上から尾鷲へと下る石畳は登ってきた海山側とは
かなり表情を異にしています。日当たりの良い南面を
行くため苔が付かず乾いています。
後方から来る人たちを振り返る。 敷石が登りに比べるとやや小ぶりで角ばっています。
 前を歩く人、急勾配なのでカニさん
歩きになっています
足元に気を付けて皆慎重です。
 蟻の熊野詣・・・聖地を目指す人々の行列をこうたとえた熊野三山詣。民衆の願うところは、死後の
苦しみが減する、“極楽往生”であり現世での安穏を願う”往生安楽”、さらに諸々の現世利益であった。
その全てを受け止める懐の深さが熊野信者を増やしていった。と語り部さんが・・ 
道の脇を山水が流れる一画にレンガ造りの
祠に祀られた桜地蔵が鎮座
馬越公園展望台へと・・・
大きな一枚岩  山からせせらぎへと道を
横断しています。これは「洗い越し」と呼ばれる
工法で
雨の多い石畳道ではよく目にします。
ヒノキ林はいつしか雑木林に変わり
平坦な道となってきました。
分岐を 馬越公園展望台方面へと 馬越公園展望台 東屋が前方に
東屋から尾鷲市内を望む 気持ち良い風が頬を撫でていきます。 ほっと一息 
展望台からの下り 石畳横に大きなキノコ 気味の悪い色をしています。
毒キノコ??
最後の石畳・・・前方は緑のトンネルになっています。 国史跡熊野古道参詣道 馬越峠道の碑 ここで終点 
皇太子殿下行啓記念碑が建っています。 すぐ傍に行者堂
  行者堂横の道を、馬越不動滝へと・・・
傍に役の行者が開いたという馬越不動尊が隣に岩肌を
くり抜いて不動明王がお祀りされています。
近くで、馬越不動滝を見上げる 
馬越公園駐車場側に大石
全体を写すことができません。
馬越公園で休憩後ゴール地点へ向けて出発です。
くつわ虫 道に這ひでよ 馬古世坂 桃乙 の石碑が 住宅地をゴール地点へと・・ 
金剛寺の見事な仁王門 隣に尾鷲神社
尾鷲神社の大楠 樹齢一千年 周囲10m(左) 9m(右) ゴール地点尾鷲駅に向けて北川橋を渡る。
尾鷲駅が前方に・・・ ゴール地点 尾鷲駅到着です。16時14分


2017年9月20日、語り部と行く熊野古道5回目です。
今回は“八鬼山(やきやま)越え”約8.5km。八鬼山越えは熊野古道(伊勢路)随一の健脚コース。
巡礼たちに西国一の難所といわれた八鬼山。峻険さと多雨ばかりか、かっては山賊や狼も出没して旅人を苦しめたという。この峠で行き倒れた旅人も多く、石畳道の傍らに巡礼墓碑や町石地蔵が多く佇む峠です。
お弁当はバス車中で・・・
炊き込みご飯・紀州うめ鶏の照り焼き・卵焼き・
鮪の甘酢あんかけ・切干大根・金時豆
尾鷲 お魚いちば “おとと”でトイレ休憩
お魚いちば “おとと”からバス移動10分。
柔軟体操後出発です。12時11分
八鬼山越え地図 尾鷲南部の矢浜。
登り口を示す尾鷲節歌碑で曲がって林道へと進む
10分ちょっとで八鬼山越えの道石標が・・・登り口 100m置きに設置されている道標に01/63
距離6.3km ウォーキングレベル3です。
山道の古道へと入っていきます。 古道から尾鷲の町並みを・・・
下部には沢山の太陽光パネルが
古道はすぐに石畳になってきました。 06/63位置  道幅も広く歩きやすい古道
 @行き倒れ巡礼供養碑 旅に出る人は心に悩みのある人や身体に病を持つ人が多かったため、急に様態が悪くなる巡礼もいた。安政大地震津波の5ヵ月後この地で倒れた、茨城県筑波郡伊奈町の人・武兵衛の供養碑だとか。   八鬼山山頂 2980m
110分の標識 12時50分 
急勾配になってきました。 石畳をちょっとアップで・・石畳は階段状ではなく
歩道に沿って上の石が下の石よりも少しずつ高く
なるように設置されています。
古道の傍に龍のヒゲ 勾配の急な石畳が続きます。キツイで〜す
これより上り約50mの区間は八鬼山越えの石畳の
中でも、施工当時の面影をよく残し敷石も大きく立派です。
幅約1.8m   13時05分
 途中右端に大きな石が、踏むとコットンと
小さな音がするので、その音からコットン石と
名付けられています。
12/63位置  視界が開けてきました。ここで小休憩です。 反対側の山斜面一面大石がごろごろ転がっています。
駕籠立場・紀州藩主や巡見使などが街道を通行する
とき、乗っている駕籠を止めて休憩した場所
右側に
樹齢300年の檜の大木が・・・今も昔も八鬼山越えを
する人たちを見送たであろう大木。
傍らの祠には小さな石仏が納められています。
石には「15丁」と「天正14年」「大湊」の文字
町名を
兼ねた地蔵尊だそうです。400年以上昔に伊勢信仰を
広めて人々の真摯な思いが刻まれています。

(町石はここから)
急勾配の石畳を上ると・・・ 14/63位置  不動明王立像が彫られた伊勢内宮
慶光院清順上人の供養碑があります。上人は
戦国期、諸国をまわって寄進を募り不安定な世情により
長らく中断されていた伊勢神宮の遷官を復興させた尼僧。
石畳が途切れ、前方に橋が せせらぎが・・・
すぐに二つ目の橋が・・・ せせらぎを一つ二つと跨ぎ・・・
道標に八鬼山山頂まで2090m 80分
急勾配な階段状になっています。
林道交差点 国道311号線に通じる道に出てきました。
唯一リタイヤできる峠です。 13時40分
全員そろって頂上へと進みます。 急勾配な石畳が延々と続きます。
左側は渓谷のようです。
気持ち良い風が吹き抜けます。
道傍に行き倒れ供養碑が、
俗名 西武甚六と刻まれています。
急勾配で滑りやすいので
皆慎重に上って行きます。
A 20/63位置 八鬼山越えの一番の難所 七曲がり。
13時57分これより上り280mの区間は石畳を敷き詰めた
九十九折の急坂が続く七曲がりです。
とりつきには墓碑がたたずむ。
熊野の聖地をめざした巡礼たちの中には、
この峠越えで行き倒れた者も少なくない。
ジグザグにカーブしながら
急勾配を登って行きます。
苔むした石畳は滑りやすいので要注意 しばし呼吸を整えてから・・・
ちょっとだけ視界が開け尾鷲の向こうに
大台ケ原の山並みが姿を現します。
急坂を登りきると地蔵形の町石が迎えてくれます。
ほっ ここで標高は約340m 
小休憩 汗ばんだ肌に心よい風が
吹き抜けていきます。 14時24分
小休憩後は、急勾配はゆるやかになり・・・
平らなところは土道となっています。 25/63位置   道傍で見守る地蔵形の町石
ゆるやかな石畳を山頂に向けて 町石、かつては山頂までの五十町に置かれていたが、今は三十四体が残るのみ。これらを寄進したのは伊勢神宮の御師や伊勢市大湊の豪商たち。五十町石は当時の伊勢神宮の権威を示すものといえるそうです。 
八鬼山越えはほとんどが石畳になっています。
桜茶屋一理塚跡一里塚は織田信長や豊臣秀吉が三十六町を一里として塚を築かせたといわれています。一里塚は旅人が目的地に到達する距離の目安になり馬や駕籠の賃金を支払う目安にされていました。 27/63位置を歩く
道傍で見守る町石の横を歩く 先人達をも見守ってきた地蔵形の町石 
 町石と蓮華石、鳥帽子岩手前の平石を蓮華石、後方の
縦長石を鳥帽子石。石の形がハスの花と鳥帽子に
似ていることからこの「名」が付いたらしい。
石畳の両脇には巨岩がごろごろ
ここを登りきると九木峠 31/63位置 九木峠到着  15時11分 標高522m
ここからは九鬼の町へと下る道も通じている
九鬼村は九鬼水軍の発祥の地。当時村役場が道標を立てるほど、この道は沢山の通行者があったようです。
鉄道の開通まで、この峠道は「生活道路」として欠かせない道でした。
九木峠、傍らには、四十一、四十二番目の
町石が佇んでいる。
九木峠から三宝荒神堂へと・・・
尾根伝いに古道を・・ 町石が見守る古道を・・
前方に三宝荒神堂が・・  B 三宝荒神堂(日輪寺)到着です。15時37分
お堂の中には「石像三宝荒神立像」がお祀りされています。この荒神堂は西国33ヶ所第一番札所の「前札所」として八鬼山越えの巡礼が道中の安全を祈って参拝したが、今は朽ち果てています。荒神堂の横には荒神茶屋が、昭和初期まで八鬼山を越える巡礼や旅人をもてなした茶屋跡がある 堂の裏手には八鬼山に出没しては
巡礼たちを苦しめた山賊を退治したという
住職のお墓がありました。 
もうすぐ山頂のようです。ひと頑張り!! 巨石の横を・・
熊野古道 明治道(三木峠)と江戸道(八鬼峠)の
分岐点  標高627m
江戸道へと進みます。
やっと八鬼山山頂到着です。 標高647m
15時57分 出発から約4時間かかってます。
展望のよいさくらの森広場へと・・・
あと少しでさくらの森広場 C さくらの森広場到着 16時09分
熊野灘を望む 前方の一番高い山頂山 標高397m志摩半島から那智山までの大パノラマを
眺めることができますが木々が邪魔をして志摩半島は写真では見えません。
さくらの森広場から江戸道を
十五郎茶屋跡にむけて出発。
急勾配なのでロープを持って下ります。
根っこむき出しの尾根を進む。 47/63位置 ひたすら下る。
50/63位置  52/63 十五郎茶屋跡到着 17時12分
この茶屋がいつ開業して、いつ店をたたんだかは
不明のようです。江戸時代の風土記には
「十五郎茶屋一件ありて」と記されているようです。
十五郎茶屋跡絵図  杉皮に石をのせた平屋建ての
建物の前では、紐でつながれた「飼い猿」に餌を
与えているのだろうか二人の旅人の姿が描かれています。

53/63位置 急勾配なので、前を行く人
皆カニ歩きになっています。 
55/63位置 山斜面の両脇はシダが茂る。
56/63 位置 58/63位置では懐中電気が必要になってきました。
17時50分 
懐中電気で足元を照らしながら下る。
苔むしているため、ちょっと油断すると滑ります。
60/63位置 駕籠立場 写真を写していると
前を行く人の姿が見えません。 
滑らないように大急ぎで追っかけます。 八鬼山峠道の三木里側登り口到着  18時10分
橋の先には、先に到着人たちが・・・ 後から来る人を待ちます。
集落を三木里海岸へと・・・周囲は暗くて何も見えません。 柄の一里塚も分からないまま、バスの待つ三木里海岸到着
波の押し寄せる音が聞こえますが海岸すら見えません。18時40分 
約7時間弱で熊野古道一番難所を越えることができました。 自宅到着24時を過ぎていました。


2017年10月18日、語り部と行く熊野古道ウオーク6回目です。
ヨコネ道・三木峠・羽後峠約5.7kmを歩きます。八鬼山を越えて賀田湾の入り江の集落をつないで行きます。
ヨコネ道は近年古道の語り部さんにより発見されたルートで潮騒を聞きながら辿るルートです。

前回も休憩した、お魚いちば おととで休憩です。
新鮮な寿司地元野菜などが販売されています。

ヨコネ道・三木峠・羽後峠地図 三木里海岸 前回のゴール地点。八鬼山越えの時は
真っ黒で波の音しか聞こえなかったが、海水浴場が
見渡せます。今回は、ここが出発地点です。
三木里海岸でお弁当の昼食 熊野牛の焼肉・
鶏甘酢あんかけ・高野豆腐の炊き合わせ・
スパゲティサラダ・古代米
八十川を渡り国道311号線を歩く。小雨が降っています。
今年は天気の神様に見放されています。

12時39分
前方の山は前回の峠越え、八鬼山です。 三木峠入口と書かれた道標に導かれ、
林の山道へと入っていきます。
 ヨコネ道、この峠道を発見したのは古道の語り部さん、
道はまだ整備途中とか・・・
木の根がむき出しのヨコネ道
少し開け賀田湾が下方に・・ 斜面に炭焼き窯跡、庶民が使うための炭焼き窯跡
8俵の量が焼けたそうです。
ヨコネ道、キツイ登りが続きます。 ヨコネ道から、視界が開け木々の間から賀田湾を望む。
外海が見えずまるで大きな湖のようです。 
再び林道に・・ここからは急坂を下ります。 下方に国道311号線が・・・ 
311号線に合流 13時20分 311号線を歩く。
三木峠の道標に従い古道へと進みます。 三木峠と・・
国史跡・三木峠道標
ここから世界遺産登録の古道  13時28分
三木峠へと続く石畳み・・三木峠・羽後峠の中で
一番石畳の綺麗なところです。 
100m置きに設置されている標識 01/08
三木峠の距離800mのようです。
三木峠、石畳を登る
視界が開けた場所で小休憩 賀田湾を望む。三木浦の集落が見渡せます。
三木峠 標識 04/08を歩く 苔むした石畳み
05/08 位置 三木峠到着標高120m
小休憩後は展望台へと足をはこびます。
絶景の丘展望台への標識
展望台へと続く古道にカエルのような大石が・・・
カエル石と名付けよう
ここを登れば展望台
三木崎峠展望台から・・ちょっとズームで、
木々の先は出発地点、三木里海水浴場 
三木崎峠展望台(標高139m)から賀田湾を望む。 今までの峠道は山の中の道であるのに対し、賀田湾の景色を眼下に、海岸線と平行に走る風光明媚な道です。 13時57分 
三木崎峠展望台からの下り 殿様道と呼ばれています。
紀州の殿様も駕籠の窓を開け眼下に広がる
賀田湾の景観に満足しただろう
歩いてきた石畳みを振り返る。
06/08位置の石畳
足元を確認しながらの歩きです。
ちょっと油断すると滑ります。
三木峠を下ると再び311号線と合流
311号線から、羽後峠へと続く古道へと・・ 見事な猪垣が続く古道
猪垣の先は集落でした。 集落から再び311号線へと・・・ 
311号線を進む 「ここは古江町です」の看板の手前で
道標に従い再び古道に入ります。
その後は羽後峠登り口の道標に沿って進む。 苔の上に一輪お茶の花が・・
延々と続く猪垣、猪垣の上は平地が
少ない庶民の田畑だった。
羽後峠へと続く古道は、下ったり登ったりです。
根っこむき出しの古道を上る。 上ったと思うと、すぐ下ります。
結構な急坂です。
山の神がお祀りされています。
後方に椎・楠・タブの木の大木が・・
左側に長距離を移動をする蝶【アサギマダラ】の里
フジバカマの花を植え、長距離飛来で有名な
「アサギマダラ」がやって来るのを待ち、生体観察されているそうです。一匹舞っていたそうですが、見逃しました
【アサギマダラ】の里越しに賀田湾を・・・ 再び猪垣続く林道に・・・
古道両脇は見事な猪垣が続く。
急な石畳を登りきると・・・ 農道へと出ます。311号線、農道と道路を右に入ったり
左に入ったりしてやっと羽後峠登り口へ到着です。
石段の上に羽後峠石道標 羽後峠道標・・(ここから世界遺産指定部分)
01/09位置 15時19分
01/09位置からの登り ここを登りきると・・・
02/09 の位置が羽後峠 標高140m
15時25分
奥へと続く立派な猪垣・・行動範囲が広く大食漢な猪は
畑を荒らす厄介な動物です。この猪垣は人々と猪との
壮絶な戦いの歴史を今も物語っています。
羽後峠、世界遺産指定部分を下る。 羽後峠 整った石畳みを下る。
「苔道が綺麗よ」と添乗員さんが・・ 立派な猪垣を横切ります。
古道・山道分岐点の石標
「是より左くまの道」と刻まれています。
山から山へと続く猪垣、どこまで続いているのか、
想像も及ばない長さです。
石畳の傍らに秋葉山 火伏せの神と・・・ 斜面見上げると小さな火の神様の祠が・・・
羽後峠 終点の案内板が見えてきました。 歩いてきた羽後峠を振りかえる。 15時54分
水路に沿って歩いて行くと・・・ 農道に出てきました。農道を少し歩くと・・・
賀田羽根の五輪塔の道標に従い古道に入ります。 古道を少し進むと・・ 
すぐに再び農道、横切って賀田羽根の五輪塔の
案内板から古道へと・・ 
 賀田羽根の五輪塔。江戸初期の五輪塔。五輪とは
仏教思想における宇宙生成の五大要素「空、風、火、水、地」を指し、故人供養のために建てられたといわれます。
賀田町集落へと下りてきました。 橋を渡り・・・
国道70号線へと ゴール地点ではバスが待ってくれています。 16時09分
 311号田沿いの三木里町、古江町、賀田町三つの集落をつないでの歩きでした。