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朝食バイキング |
今日は胃が張って食欲ゼロです。
果物とホットケーキを・・・ |
8時30分出発、ガラタ橋を渡り、ボスポラス海峡クリーズ、フェリー乗り場エミノニュ桟橋へと向かいます。
ヨーロッパとアジアの接点に位置するトルコのイスタンプールはボスポラス海峡を挟んで、世界と交流し発展してきました。
ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国と3つの帝国の首都として繁栄した歴史が、ボスポラス海峡沿いに今も色濃く
残っています。世界遺産や宮殿、要塞などを海上から眺めることができるボスポラス海峡クルーズ。壮大な歴史を
肌で感じることができるクルーズに出発です。 |
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長さ約30kmのボスポラス海峡によって、ヨーロッパと側とアジア側との大陸に
分かれるトルコ・イスタンブール。その2つの大陸を眺めながら、アルマラ海から
黒海までを周遊するのが、ボスポラス海峡クルーズです。 |
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前方、ガラタ橋 上部車道 下部はレストラン街 |
ガラタ橋をくぐりアルマラ海へと・・・ |
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フェリー進行方向ヨーロッパ側の風景 |
オスマン帝国の王宮だった“ドルマパフチェ宮殿”が
見えてきました。 |
埋め立てられた庭園という意味を持つドルマバフチェ宮殿は、西洋のバロック様式と伝統的なオスマン様式を
取り入れた壮麗な宮殿です。1843年に着工され1856年に完成して以降、1922年に最後の皇帝メフメト6世が
退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用されていました。 |
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宮殿の総面積は約1万5000平米もあり、それぞれ趣きが異なった285室もの部屋と、43のホールから成り立っています。
宮殿の内部を彩る調度品や名画には、ヨーロッパからの献上品が多く、今でも現役の迎賓館として使われているそうです。
海上からしか全貌を見ることができないドルマバフチェ宮殿は、海側に正門と桟橋を備え、宮殿から公道に出ることなく、
船でイスタンブール市内を自由に行き来できるようにと、埋め立て地に建てられています |
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フォーシーズンズホテルが前方に・・
19世紀のオスマン様式の宮殿を改装して利用した宿泊施設
です。歴史的な建築と豪華な装飾が調和しています。 |
フォーシーズンズホテル・・・
外温水プール、庭園、ボスポラス海峡のパノラマ風景を
望む広々としたテラスを併設しています。 |
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チュラーン宮殿が前方に・・・ |
チュラーン宮殿 ボスポラス海峡に接するホテルで
1867年に建てられた宮殿を改装した豪華なホテルです。 |
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チュラーン宮殿を見送ります。 |
ジャ・カルカヴァンと看板が何の施設? |
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ガラタサライ大学。 |
ボスポラス海峡には2つの大きな橋がかかっています。
一つ目の橋をくぐります。 |
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オルタキョイ・ジャミィを望む
クルーズ船はUターン後、ここで下船 |
一つ目のボスポラス大橋を振り返る。 |
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ヨーロッパ側の風景をワイドで・・・ |
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城壁のような「ルメリ・ヒサル」が前方に・・・ (紫色の木々はハナズオウ) |
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海峡の幅が狭くなってくるとヨーロッパ側に見えはじめるのが、オスマン帝国の要塞ルメリ・ヒサルです。
1452年、オスマン帝国のメフメット2世が、翌年のコンスタンティノープルの攻撃に備えて、約1万人の
労働者と1000人の石工職人を動員し、僅か4ヶ月で築いたと言われています。黒海から南下してくる
応援部隊を阻止するためとはいえ、海峡幅が約660mの最狭部に築いた砦を海上から見ると圧巻です。 |
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要塞ルメリ・ヒサルと建物群を・・・ |
広大な黒海(10kmほど先)が目の前に広がる、この第二ボスポラス大橋は、日本の建設会社が建設したもので、1988年に開通しました。全長1510m、水面からの高さ64mの橋で、瀬戸大橋とは姉妹橋になっているようです。ここでUターンです。 |
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2週間ほど前にコンテナ船がぶつかって
壊れた建物が目の前に・・・ |
第二ボスポラス大橋を振り返る。 |
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後方に見えるのは城塞アナドル・ヒサール |
古い宮殿のような建物が遠くに・・・ |
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第二ボスポラス大橋の手前でUターンした後、
アジア側にはヤルと呼ばれる避暑地の別荘が続きます。 |
ゆっくり海上クルーズを楽しんでいると現れるのが、
宮殿のようなクレリ軍事高校です。 |
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そろそろ下船です。
その前に船内うろうろ |
船内から・・・ベイレルベイ宮殿、ヨーロッパの宮殿を
お手本にして1865年に建てられた大理石を多用した宮殿。 |
ベイレルベイ宮殿はボスポラス大橋のたもとにあり、オスマン帝国のスルタンの夏の離宮として使われていました。
ドルマバフチェ宮殿が王宮で、こちらは離宮です。同じように海側に正門と桟橋を備え、海上からしか全貌を
見ることができない、クルーズならではの見どころです。 |
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オルタキョイ・ジャミィで下船
ここにもネコちゃんが・・・ |
オルタキョイ”とはトルコ・イスタンプールのヨーロッパ側、
ボスポラス海峡沿いにあるエリアです。オスマン帝国時代は
トルコ人、アルメニア、ギリシア人、ユダヤ人などが暮らして
いた、コスモポリタンなエリアでした。 |
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オルタキョイ・・・お店が並ぶ前は、
広場になっています。 |
可愛いお店が並ぶエリアへと・・・ |
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ここにもネコちゃんが・・・ |
果物が並び可愛いお菓子か?? ちょっと見ても
何か分からないものが売られています。 |
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車体を切り取ったようなお店も・・食べ歩きなどができる
ようですが、ガイドさんの後ろをついて行くのみ・・・ |
エミルギャン公園入口、
こちらは多分裏入口だと思う。 |
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平日なのに大勢の人が・・・観光客ではなさそうです。 |
ハナズオウは見頃 |
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ヨーロッパとアジアの境界にあるボスポラス海峡近くの公園で、イスタンブールで毎年4月に行われるチューリップ祭りの
期間中には約190種、約280万本ものチューリップが咲き乱れます。トルコの国花でもあるチューリップが広大な敷地の中に
たくさん植えられていて、様々な模様や川のようなデザインにもなっているようですが、ちょっと遅かったようです。 |
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子供たちの遊び遊具、アスレチックで遊ぶ
子供たちの声が響いています。 |
広い公園を散策路に沿って・・・ |
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散策路に沿って・・・ |
タンブルと大きな文字の前で記念撮影です。 |
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坂を下ったところに白い洋館が・・・食事処か? |
洋館すぐ横に池が、幾つもの滝筋が・・・ |
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池の前のチューリップ |
ムスカリとチューリップの競演
見るより写真のほうが綺麗です。 |
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チューリップの向こうはボスポラス海峡 |
公園からは海も見え、色とりどりのチューリップや綺麗な景色を見ていると時間を忘れてしまいます。急いで集合場所へ |
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入って来る時より大勢の人たちが集まっています。
ランチタイムを楽しんでいます。
私達も昼食場所へと・・・ |
昼食場所 サバサンドの昼食です。 |
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テラス席もあります。 |
オレンジジュースとサラダ |
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スープ |
サバサンド・・大きなパンにポテト、下には大きな焼きサバが・・
朝から胃が張り食欲ゼロ、一切手を付けず。
お連れさん美味しい美味しいと横で・・・うぅ・・ |
城壁に囲まれたトプカブ宮殿へと・・・
トプカブ宮殿は、約400年もの間オスマン朝の支配者の
居城でした。敷地内には、ハレム(主君の側室や、
皇帝の子を産むことがなかった側室たち、
また寵愛を受けられなかった侍女たちの部屋)が
あったことで知られています。強大な権力を持っていた
オスマン朝の支配者の居城であったトプカブ宮殿へと・・・
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宮殿内にはアヤ・ソフィア側にある
帝王の門から入ります。 |
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皇帝門 門前にビクとも動かない兵士が・・ |
第一庭園に木立に囲まれた聖エレーネ教会。 |
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第一庭園から帝王の門を・・帝王の門は3つの儀式的門の
最初の一つ。1478年にスルタンメフメト2世が建設 |
トプカブ宮殿模型・・
ガラスの反射で分かりにくいです |
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第一庭園を進むと「挨拶の門」の門があり、
ここから本来の宮殿域となります。
1468年に同じくスルタンメフメト2世が建設。
かつてはここに大砲が設置されていたことからトブ(大砲)
カブ(門)と呼ばれるようになったといわれています。
ここから有料です。 |
挨拶の門をくぐった先が第二庭園、
パンジーが出迎えてくれました。 |
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第二庭園に正義の塔と行政機関
第二庭園、政庁の広場に入り、まず最初に目に入ってくるのが、絢爛豪華な入り口の行政機関です。
内部には会議の間、宰相の執務室、客間などが続き、オスマン帝国の行政の中心らしい威厳と風格が漂っています。 |
陥落させたメフメット2世が、1460年代に現在の場所にトプカブ宮殿を着工し、その後、さまざまなスルタン(主君)が
当時の建設洋式に従って増築が重ねられ、庭園や離れ家などもある複雑な構造になっています。約4000人もの
従者らが暮らしていたといわれ、それ自体が一つの町となっていました。外観からは内部の豪華な生活を
想わせるような感じはありませんが、とがった四角すい状の正義の塔が目立っています。 |
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幸福の門が前方に・・・ |
幸福の門・・第三の庭へと続く門 |
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ハレムへと、入った途端に見えてきた
トルコブルーのタイルが鮮やか。 |
内廷で過ごすスルタンは、内廷とハレムをつなぐ「黄金の道」
を通ってハレムに赴きました。この道を通ってハレムに入る
男性は、宦官を除けばスルタンとごく限られた人々だけでした |
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トプカブ宮殿ハレム入口
トプカブ宮殿にハレムが移設されたのはムラト3世の
時代であり、それまでエスキサライ(旧宮殿)側にあった。 |
トプカブ宮殿の最大の
見どころはハレムです。 |
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黄金の道が奥へと続いています。 |
ハレムでは、奴隷身分の侍女も含め多い時には
1000人以上の女性が暮らし、その一部がスルタンの
側室となりました。スルタン以外でここには入れる
男性は、黒人宦官と年少の王子のみでした。 |
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母后の部屋・・ハレムの女性たちの憧れは、王子を産み、
その王子がスルタンとなって晴れて母后となることでした。
母后となれば、ハレムの中心に位置する広々とした区画を
与えられ、黒人宦官長とともに最高権力者としてハレムを
仕切ることができたのです。 |
「皇帝の広間」ですが、私的な空間なのに
これだけの華やかさ。この部屋に入れるのは、スルタンの
母后、第一夫人と愛妾たち、そして子供たちだけでした。 |
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皇帝の間天井 |
皇帝の間を何枚も・・・ |
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皇帝の間をワイドで |
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次の部屋へと・・ガイドさんが付いているというのに、
部屋の内装の美しさに気を取られていて、
全然聞いていません。 |
装飾の青いタイルに惚れ惚れ |
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次の部屋へと・・・ |
何が何だか分からなくなってきました。 |
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天井の模様・・・
上ばかり見ていると首がいたくなってきました。 |
小部屋が迷路のように入り組んだ複雑な構造をしています。壁一面は鮮やかなブルーのタイル装飾がなされており、まさにイスラム芸術の真骨頂とも言える美しさが堪能できます |
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愛妾のテラスはハレム見学中に訪れることができます。
ハレム内に捕らわれた100人を超える女性たちが
外界を触れることのできる唯一の場所でした。 |
100人を超える女性たちが
生活していた部屋 |
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ハレム一回りして元へと戻ってきました。 |
ハレム入口にあった鏡 |
ハレムの建物は6層からなり、300の部屋に中庭と通路と階段が入り組む複雑なつくり。
見学できるのはそのうち約20の部屋と中庭などですが、金やタイルの装飾だけでなく、
窓枠などの細部にいたるまで手を加えた壮麗なつくりには目を見張るばかりでした。 |
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自由時間になりました。
宮廷内ぶらぶらです |
謁見の間・・・ここでスルタンは政府高官や
海外からの大使たちと謁見しました。 |
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ローブ内に小さな石・・右舷
1セリフ 置くと記されています。 |
宝物館・・現在修復中です。 |
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庭園ぶらぶらです。 |
庭園からボスポラス海峡を望む。 |
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12日間一緒だった現地ガイドさんと記念撮影です。
ありがとうございました。 |
宮廷内の住居へと・・・ |
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後宮 位の高い人の住居のようです |
バクダット征服を記念して建てられた
優雅な休息所、バクダットキョシュク。 |
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バクダット・キョシュク内部 |
天井には細かい模様が施されています。 |
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テラス・・前方に見えるのは、アヤ・ソフィア |
テラスに、イフタリエと呼ばれるこの小さな
天幕狂人スルタンイブラヒムが残した
唯一の功績といわれています |
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軒下や窓枠などの細部にいたるまで手を加えた
壮麗なつくりには目を見張るものがあります。 |
サンネットルーム ヤズリコダと説明板に
書かれたお部屋内部。 |
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サンネットルーム ヤズリコダと
説明板に書かれたお部屋内部。 |
ここでの往時の生活を想像すると複雑です。 |
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多くの皇子の殺害、側室や寵姫の絞殺など、あらゆる策略と
陰謀、姦計が渦巻く場所でもあったのです。
例えばスルタン・ムラート三世はお手付けの女は40人、
ハレムの女は400人、子女は112人、同時に揺りかごが
動いていたという。父帝が亡くなるとムラート三世は
即位と同時に、兄弟の皇子たち19人を絞殺、姉妹の
皇女たち24人を幽閉、父帝によって妊娠中のハレムの
女たち17人をマルマラ海で水死させた。 余りにも非人間的な所業も、オスマン帝国の存続のために帝位継承を巡る
紛争を防止するよう考えられた必要悪でした。今では
観光客の華やいだ声があっちこっちで聞こえてきます。
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高貴な人の部屋・・
ここの部屋で生活する人はどんな思いだったでしょう。 |
ハレムの庭園にチューリップとパンジー |
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二色入り混じったチューリップは真っ盛り |
周りを取り囲むように建物があります。
それが厨房です。 厨房内部へと・・・ |
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厨房内は撮影禁止 知らずにパチリと・・・
今は東洋磁気展示室となっており、日本の古伊万里も
収蔵されています。展示の中心は中国の陶磁器で、
収蔵点数は1万を超えているとか。 |
トプカブ宮殿前にお昼寝するワンちゃん
無防備な姿 大丈夫か |
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行程全て終了バスの待つ場所へと・・・
アヤ・ソフィアと帝王の門にお別れです。 |
イスタンプール アタテュルク空港16時42分到着
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イスタンプール発21時20分 出発まで4時間以上あるのでツアー
お仲間と、ピザと飲み物を頂きながら話に花が咲きました。 |
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機内から イスタンブールの街並みの夜景を・・・ |
機内食20時18分 夕食?? |
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機内食 6時27分(トルコ時間) やっぱり朝食 |
ソウル仁川空港着陸13時12分 |
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仁川空港内に獅子舞?? |
音楽と共に・・・ |
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ソウル仁川空港発15時20分発で帰国の途・・・・ |
ソウルの上空です。 |
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着陸1時間前の食事です。おにぎりと果物です。 |
岡山上空辺り・・ |
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淡路島が過ぎ、もうすぐ和歌山上空に・・・ |
26日に日本時間16時59分、無事関西国際空港着陸です |
長いと思っていた12日間もあっという間に過ぎてしまいました。 |