2020年4月1日~2日四国へ1泊2日の旅を楽しみますコロナウイルスにそっちのけです。
天気予報では1日は一日中雨のようです。予定を少し変更 淡路島を抜け鳴門海峡“渦の道”
“四国村”からホテルへと・・2日は花見日和のようなので、“丸亀城” “栗林公園” “四国一桜の名所八百萬神之御殿”へと、10時自宅出発です。
鳴門海峡大橋の陸橋を渡り渦の道へと・・・ 山桜が満開
渦の道へと(鳴門市鳴門町土佐泊浦
鳴門公園内 ☎088-638-6262) 
渦の道(大鳴門橋の橋桁内にある海上遊歩道)
玄関入るとピックなお雛さまが出迎えてくれます 大鳴門橋遊歩道 入場料510円
潮の流れを見ながら・・・大潮11時40分
丁度40分です
約450m先の展望室にはガラス張りの床があり、
世界三大潮流の一つ「鳴門海峡」に発生する「渦潮」を、
約45mの高さから、覗き込むことが出来ます。
ガラス張りの床、上に乗るのはちょっと怖いです 先端までやってきましたが、渦は見当たりません
渦潮クルーズ船が近づいてきました 2艘 3艘と近づいてきましたが微かに
見えるのが渦か??
ズームで・・・豪快な渦をガラス越しに見えると
期待していたのに、期待はずれです
せめてパネル写真だけでも
駐車場へと・・・淡路島方面を・・ 四国方面を・・
鳴門町、堀越橋からの眺め最高です。四国村へと


四国民家博物館は源平の古戦場として知られる屋島山麓の地に、四国各地から古い民家を移築復原した野外博物館です。
昭和51年に開設して以来、観光スポットとして、「四国村」の愛称で多くの人々に親しまれています。自然あふれる
約50,000m2の敷地には、江戸∼大正期にかけての地方色豊かな建物が配置されており、当時の生活の様子が
うかがえるよう、たくさんの民具も展示されています。
四国村 四国村地図
村内には江戸時代から大正時代の民家が12棟移築復原されており、室内には当時使用されていた農具が
多数展示されています。四国各地から移築復原されたこれらの建物は、国や県などの指定文化財となっています。
四国村 入場料1000円
入口が、かずら橋になっています
大雨が降っている為、橋を渡らず第二入口から
農村歌舞伎舞台・・この舞台では小豆島の地元の人々自身が役者となり、歌舞伎芝居を演じていました。
茅葺平屋建てで、廻り舞台、楽屋、チョボ(義太夫)の床、お囃し座がついています。建造年代は、
落書きの内容から、江戸時代末期のものと推定されます。
猪垣・・猪垣は田畑の農作物を猪や鹿に
食い荒らされるのを防いだ垣根です。
旧山下家住
寄棟造り茅葺、平屋建て。江戸時代における
東讃岐の一般農家の典型であり、俗に
「周囲(ぐるり)八間」と呼ばれた農家です
旧山下家住宅 内部・・・家の半分は農作業用の土間にとられ、残り半分の床部分に
「おくどさん(かまど)」がついており、そこで親子兄弟が肩をよせあって暮らしていました。
順路に沿って進んでいきます
立派な石畳みになっています
旧河野家住宅・・・
石垣は大阪城の残石で積まれています
旧河野家住宅へと・・・ この民家は、愛媛県の南、小田町の深い
谷筋の奥まった急斜面に建っていました。
部屋の床はすべて竹を敷き、各部屋に「いろり」が
切られ、寒い山間の住まいの特徴を示しています
土間には、和紙の原料にする
コウゾを蒸す釜があります。
砂糖しめ小屋・・砂糖しめとは、サトウキビの汁をしぼると
いう意味。四国村にある2つの丸いしめ小屋は、香川県内に
2棟だけ残っていた大変珍しいものです 
砂糖しめ小屋天井
旧河野家住宅を振り返る 砂糖しめ小屋
こちらの砂糖しめ小屋は正方形 釜屋
二つ目の砂糖しめ小屋・・
外壁は曲面にあわせた大壁づくり。
砂糖しめ小屋内部・・中央には三個の石臼(車石)が
置かれていました。それら石臼に取り付けられた
腕木を牛が引いてまわし、回転する石臼の間に
サトウキビを差し込んで汁をしぼっていたのです
ちょっと高い所から河野家住宅を 雨の中椿が散る散策路を順路に沿って
こんな処に、左甚五郎の墓碑 前方、四国村ギャラリー
展示物は撮影禁止になっていました 
ギャラリー前は枝垂れ桜が雨に濡れて アップで・・
茶堂「遊庵」 茶堂「遊庵」 地蔵菩薩
茶堂の地蔵菩薩。瀬戸内寂聴尼によって開眼され、堂は「遊庵」と命名されました。
この堂の柱や天井板に四国霊場をめぐった遍路たちが書きのこしたとおもわれる落書があります。
此の石はたたくと金属質の澄んだ音を
出すことから、カンカン石と呼ばれています。
ひっそりと石仏が佇んでいます
竹林を抜けると・・・ 大久野島燈台へと、楮蒸し小屋への分かれ道に
なっていました楮蒸し小屋へと進みます。後から思えば
大久野島燈台へと向かった方が良かったと後悔です
楮(こうぞ)蒸し小屋・・
土佐は高級和紙の産地です。
この小屋では伝統の和紙づくりが行われていました
切りそろえた楮やみつまたを束にして、釜に立て、
上から桶をかぶせて蒸す。取り出して皮を剥ぎ、
黒皮を取り、水に浸した白皮をモチにして、棒でたたく。
最後に水に入れてすくい上げ、紙に漉く・・・
和紙作りは、手のかかる作業でした。
旧下木家住宅・・
冬の間は雪で閉ざされる剣山麓の、標高1000mの
ところにあった民家。安永10年(1981年)の建物で、
寄棟造り茅葺、間口七間、奥行四間で「本三六」の
家と呼ばれます。
間取りは、オモテ、ナイショ、ニワの
三間に分かれています。
どの家にも綺麗なお花が
生けられています
染が滝・・・明治、大正期の民家の基礎に使われていた
石をふんだんに用いられています。流れる滝の
音と雨の音が混ぜって風情を醸し出しています。
旧下木家住宅を見上げる 添水唐臼(そうずからうす)小屋
穀類を精白する為に水力を利用していました
染ガ滝の横の坂道を下ります 久米通賢先生宅
江戸時代、香川県の塩の生産量は全国の半分近くを占めていました。その製塩の基盤をつくったのが久米通賢です。安永9年(1780年)、東讃岐の引田町馬宿に生まれた久米通賢は平賀源内とともに、讃岐を代表する江戸時代の科学者です 
久米通賢先生宅内部・この主屋は、平屋建て寄棟造り茅葺。
解体に当たって天井裏から、測量器具、
大砲の鋳型の原形などが発見されました。
旧中石家住宅
平家の落人村として有名な祖谷の民家。 
寒い祖谷らしく部屋には「いろり」があります。 旧中石家住宅内部 広いです
隠居部屋と母屋の間から
染ガ滝の流れが見えます
旧中石家住宅・・・主屋、隠居屋、納屋が一列に並んで
建ち並ぶ様子は、傾斜が急な祖谷地方の特徴を
表しており、18世紀後半の建築とみられます。
かやぶき屋根が新調された隠居部屋
丸亀藩御用蔵(資料館) 内部は歌舞伎の舞台が正面に・・・
この建物は、もともと京極藩御用の米蔵でした。
墨書や、米俵の数取りに使った「玉」等の落書きなどから、江戸後期の建築であると推定されます。
 内部は歌舞伎に使う衣装等が数多く展示されていました 造り酒屋の井戸も再現 
桜の向こうにアーチ橋 昔こんぴら街道沿いにあったアーチ橋と石蔵は
角閃安山岩で古墳時代には石棺にも使われていました
福井家の石蔵・・・
明治中頃に造られたもので四国では大変珍らしく当時と
しては贅沢なレンガを床に張ったモダンな建物でした
三崎の義倉・・・義倉とは平時に稲や麦を貯蔵しておいて
飢饉の際には種籾や食料の補助に支給する制度。
この義倉は昭和15年まで機能していました
アーチ橋をくぐると、醤油蔵・麹室 醤油蔵・麹室・・
醤油蔵に足を踏み入れると、微かに漂う醤油の香りに
包まれる中、大きな仕込み桶の存在感に圧倒されます
赤い鉄塔、警報台と前方 旧前田家土蔵 小豆島の石蔵と消防屯所と警報台(この警報台は
元護衛空母「しまね丸」のマストでした)
旧前田家土蔵
高知市布師田に明治時代に建てられた土蔵
火の見櫓と旧丸亀藩斥候番所
この建物は、香川県と愛媛県の境の三豊郡箕浦に
建っていました。北側が海、南側が山という地形の
箕浦には、藩政時代、2つの番所がありましたが、海側の
警備にあたっていた方は残っておらず、地元民が
詰めていたこの番所だけが残っています。
 旧吉野家住宅
徳島県の太平洋に面した断崖の下、海部郡由岐町伊座利に
あった「漁師の家」。切妻造り平屋建て本瓦葺きの家で、
強風を防ぐ役目をしている周囲の石垣を伴っているのは、
この地区の漁家の特徴です。
旧吉野家住宅 漁師の家内部
順路に沿って進んで行くとかずら橋へと出てきました。
1時間10分程で村内一周出来たようです。
村内では誰にも会わず私ひとりだったようです
異人館が出口です
異人館は喫茶店になっているようです。 四国村入口にお土産店【わら家】
名物讃岐うどんが頂けます 
1時間余りの散策でしたが、誰ひとりとして会うことがなく終了です
今晩の宿泊地こんぴら温泉華の湯 紅梅亭へと・・・
こんぴら温泉 華の湯 紅梅亭
(香川県仲多度群琴平町556-1)到着
お部屋へと続く廊下
玄関間があり、ドアーを開けると
広~いお部屋が広がっています 7F708
和室もあり 洋間 ベットと最高のお部屋です
夕食 河豚の土瓶蒸し・三種盛り・たらこ・風呂ふき大根の
クリームソス掛・旬のお造り四種盛り季節野菜に金山寺味噌 
山海豊楽焼き・天ぷら・てっさ・
デザート・巨峰のカクテルも・・
夕食の後はお風呂へと・・・
お風呂は1Fと地下1Fにあります
先ずは1Fにある露天風呂へと・
足湯を抜けると・・
露天風呂です
庭園から紅梅亭を・・・ 次は地下1Fにある大浴場へと・・
お風呂場へと続く長い廊下 大浴場  誰も入浴していません ゆっくりと
露天風呂 バラの花が浮いています 露天風呂から大浴場を・・
バラの花に囲まれてゆっくり入浴 お部屋窓から夜景を・・・雨は止んでいます
1日目無事終了

2020年4月2日、四国旅行2日目です 朝目覚めると最高の天気です
昨日は雨でぶらぶら出来なかった金刀比羅さん参道を1時間程ぶらぶら、
その後丸亀城・栗林公園・八百萬神之御殿へと向かいます
1Fの大浴場へ、目覚めの朝風呂を・・・ 露天風呂へと・・
露天風呂は覗くだけ 誰も入浴していません パチリ パチリと
朝食
バイキングだったがコロナウイルスの為御膳です
出し巻玉子に焼き魚/ デザート
9時チエックアウト 参道ぶらぶら こんぴら温泉 お宿 敷島館
伝統的な老舗旅館のようです 威厳をかんじます
玄関横では無料で足湯を楽しむことができます
昨年は金刀比羅宮本宮と奥ノ院まで、
お参りしたので今回はここまで
旧金刀比羅宮町公会堂
昭和7年に建造された木造日本建築の公会堂
国の登録有形文化財に登録されています。
旧金毘羅大芝居【金丸座】
天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋。「金丸座」の名称は明治33年につけられたものです。
昭和45年に国の重要文化財として指定され、この時、名称が旧金毘羅大芝居となりました。
今はコラナウイルスの為お芝居はやっていませんでした。料金は500円になっていました
1時間程ぶらぶら後、紅梅亭駐車場へと戻り
丸亀城へと向かいます
丸亀城が見えてきましが駐車場が見当たりません
一周でやっと駐車場へと・・・行列が出来ていました


丸亀城は「石垣の名城」と呼ばれています。高く美しい石垣が特長で、江戸時代初期の城郭石垣を築く技術が
最高水準に達したときに作られたものです。当時の最高技術で積まれた石垣の美しさは、丸亀城の誇りです。
丸亀城の歴史は、慶長2年、生駒親正・一正による亀山への築城に始まります。織田信長の築いた安土城や
豊臣秀吉が築いた大坂城を手本に、城郭だけでなく武家屋敷や城下町までも濠や土を盛った土塁で囲み防御した
「総構」となっています。
駐車場から玄関先御門を抜け天守へと向かいます 大手一の門を抜けると、大手二の門があります
丸亀城案内図 急な見返り坂を登って行きます
三の丸の高石垣・・20m以上の城壁が続きます
三の丸の石垣は、間詰め石を隙間なく詰めているので
見た目もたいへん美しい石垣となっています
三の丸への急坂
時々立ち止まって振り返りたくなることから、
いつしかそう呼ばれるようになったとか
三の丸は、本丸を鉢巻き状に取り巻く曲輪です。
抜け穴伝説のある三の丸井戸などの興味深い
史跡が数多く見られました
三の丸からの眺め
二の丸へと・・・ 二の丸には桜が植樹され、市民の
憩いの広場となっています。
二ノ丸の桜は8分咲位 桜越しに丸亀城を見ながら本丸へと向かいます
本丸への急坂 丸亀城へは急な
坂道を登らなければ到着しません
本丸から天守を・・・コロナウイルスの為、入城することは
出来ませんでした高さが約15メートルあり、三重三階の
造りで、全国に12しか残っていない木造天守の1つです。
四国に残る木造天守の中で、最も古い万治3(1660)年に
完成しました
ワイドで・・・ゆるやかに流れる土器川と飯野山の姿が美しく見えています。
最高の眺め、昨日と比べると最高の花見日和です
桜を上から眺める 二ノ丸へと戻ります
見返り坂・・上る時も大変だったが下るのも大変です。 コロナウイルス関係なく露店が出ていました
京極通りから丸亀城を望みながら
栗林公園へと向かいます


栗林公園案内図  入園料410円

栗林公園の平庭部の広さは、東京ドーム3.5個分にあたる約16.2ヘクタール。これだけでも大名庭園の
中では最大級ですが、背景となっている紫雲山を含めた面積は、なんと東京ドーム16個分の
約75万ヘクタールにも及び、文化財に指定された庭園の中では日本一の大きさを誇っています。

大きな池の周りに起伏に富んだ地形で山や谷を表現し、池の周りを散策できるように造られた大名庭園は、
広い園内を回りながら様々な景色を楽しむのが最大の魅力です。広大な敷地に6つの池、13の築山を有する
栗林公園は、江戸時代初期の大名庭園として優れた地割り石組みを有する南庭、明治以降に近代的な
公園として整備された北庭にわかれており、それぞれの多彩な景色をぜひ堪能することができます。
東門(切手御門) 東門入ると桜標本木(前方)
商工奨励館の横にヒマラヤ杉の巨木 
明治32年に香川県の博物館として建てられた建物で、純日本風の木造建築です。本館、西館、東館、西館とそれを結ぶ廊下により回廊構造となっています昭和13年に現在の商工奨励館と名を改め、110年を超す建物です
桧御殿跡
松平初代藩主頼重公の隠退後の住居跡 
石梁へと・・・ 潺湲池(せんかんち)
紫雲山麓の清水が潺湲と流れるさまを
意味して名付けられました
赤松のようですが変わった枝振りになっいました 北湖・・北湖は南湖に次ぐ大きさで
池には2つの島が浮いています
梅林橋 夫婦松の先は北湖
綺麗に手入れされた松並木を進みます ぼたん石と見返り獅子
茶室 日暮亭 明治初期に建てられた石州流の茶室 
抹茶やぜんざい等が頂けます
講武榭・・藩政時代に武を練った場所
涵翆池・・掬月亭、西の池で涵翆池は翆(みどり)を涵(ひた)すという意味で中島の松も見事でした
掬月亭・・ 歴代藩主が大茶屋と呼び、こよなく愛した掬月亭。(抹茶や煎茶を御菓子と一緒に頂く事ができます)
17世紀後半に建てられたといわれている「掬月亭」は、
「水を掬(すく)えば月が手にある」という中国唐代の
詩の一節から名付けられました 
睡竜譚と慈航嶼・・津筏梁橋、両側に5月頃には
カキツバタの可愛い花を見ることができます
楓岸・・・
楓の岸にはタカオカエデが多く植えられています。
紅葉の頃には鮮やかな場所となりそうです
南湖と南湖に浮かぶ小島“楓嶼”と掬月亭
広さ約7900㎡の大きい池で、池の周囲を歩きながら
楽しむ回遊式庭園として造られています
南湖の散策路を椻月橋に向けて 南湖と天女嶋(左)
椻月橋に前撮りをする新婚さんの姿が・・・ 椻月橋から杜鵑嶼(恋つつじ)と掬月亭
南湖を和船に乗って回遊できるようです
ワイドで・・・南湖では3つの島がありました
吹上亭 飛来峰・・富士山にならって作られた築山
築山垣根から見た南湖と椻月橋、紫雲山を背景に掬月亭を・・・飛来峰の山頂に行けたようです。
山頂からの景観が園内随一のビューポイントになっていたようです
椻月橋を振り返る 前方、迎春橋
南庭回遊コース1周してきました。駐車場へと戻ります

続いて・・・・・

八百萬神之御殿(やおよろずよのかみごてん)徳島県美馬市脇町東赤谷1701-2
標高400mほどに位置する八百萬神之御殿の境内に、山の斜面を利用してつくられた桜の並木道。
ソメイヨシノをはじめとした約8000本の桜が満開の時は山が濃紅色に染まり、訪れる人々を魅了します。
四国屈指の桜の名所です。桜のトンネルとなった遊歩道は何ともロマンチックです。
  ポツンと一軒家というテレビ番組で、辿るような山道を約2km程上らないと辿りつけない四国屈指の桜の名所。
道幅はクルマ一台分。凸凹もひどくアスファルトはひび割れでギザギザ状態です。
片方は崖、片方は山ドキドキハラハラの道路です
やっと広い道路に到着です。一時はどうなるかと思いながらの走行でした。
道が余りにも細い為、交互で上り下りをします。上り着ると下る車が待っています
入口 入園料1000円 花の重みで枝がしだれ地面に着いています
赤い鳥居の先に・・ 天代剱大神
八百萬神之御殿(やおよろずよのかみごてん)拝殿 八百萬神之御殿横に枝垂れ桜
石塔と桜の競演 桜の並木道を展望台へと・・・
斜面に咲き誇る桜
 
ピンク色に染まる桜が続く並木道を散策することができます
一枝に付く花の数がめちゃ多いです 桜越しに山斜面がピンク色に
染まっているのが見えてきました
展望台から・・一番のビュースポットになっています
遠くに棚田のような斜面にお家が建っています 桜の咲く斜面の下は道路 斜面は桜尽くし
こちらもコロナウイルスの為、人はまばら 九十九折になった散策路を下っていきます
風が吹くたび花吹雪 散策路は桜の花びらで埋め尽くされています
雪柳も見頃 赤い屋根の先が駐車場
赤い屋根の先が駐車場 最高の天気に、最高の桜でした
1日目は大雨2日目は晴天 真逆の2日間でした