|
京都御所の西に位置する 清所門
緑豊かな御苑に囲まれるこの場所は、光厳天皇が即位した
1331年から、明治天皇が東京へ移った1869年までの
およそ540年間、歴代天皇が住んだ皇居でした。
皇居としての役割を終えた現在は、一年を通じて
一般公開されており、申し込み不要、拝観料無料で
参観することができます |
京都御所案内図 |
|
|
清所門正面に御花御殿をズームで
(こちらは見学することは出来ませんでした) |
宜秋門 |
|
|
御車寄
高位の貴族などが参内した際に儀式や天皇との対面のため
使用した玄関。諸大夫の間や清涼殿、小御所と廊下でつながっている |
御車寄のその先にあるのが、かって参内者の
控室であった「諸大夫の間」です |
|
|
諸大夫の間
襖絵が見事な諸大夫の間。三つの部屋からなる建物 |
格の高い順に「虎の間」(右側から) |
|
|
鶴の間 |
桜の間と身分に応じて部屋が決まっていました |
|
|
新御車寄
大正4(1915)年大正天皇の即位の礼が紫宸殿で行われるに際し、
馬車による行幸に対応する玄関として新設された |
月華門 |
|
|
承明門の先は南庭、その先に紫宸殿 |
建礼門
京都御所の南向きにある正門
国賓が来られた際にのみ使用される格式の高い門 |
|
|
紫宸殿 両脇に右近の橘 左近の桜
白壁に丹塗りの柱が鮮やかな回廊に囲まれた紫宸殿は、
即位式などの重要な儀式が行われていた、最も格式の高い殿舎です |
ずっー先に、建春門 |
|
|
春興殿
大正4(1915)年、大正天皇の即位礼に際し、皇居から
神鏡を一時的に奉安するために建てられたもので、
昭和天皇の即位礼でも使用された |
清涼殿
「漢竹」と「呉竹」と呼ばれる竹が植えられています。 |
|
|
殿上の間を・・・ |
呉竹
紫宸殿前の左近の桜と右近の橘のように、清涼殿に
なくてはならない植物で、庭に整列するときなどに、
これらの竹を目印にすることもあったそうです。 |
|
|
お池庭
回遊式庭園という様式が採用された庭は、戦国武将の
前田玄以が作り、その後に
小堀遠州が手を加えて整備したとされています。 |
石を敷き詰め、洲浜を表現。右手には「欅橋」と呼ばれる
橋が架かり、対岸には樹木が茂っています。 |
|
|
蹴鞠の庭と小御所
鎌倉時代以降に建てられた御殿で江戸時代は将軍や
大名などの武家との対面や儀式の場として使用された |
御常御殿(京都御所の中でも最も大きな建物)
現在の御常御殿は1855年に再建されたもので、明治天皇は
東京へ移るまで、この御常御殿で生活していたそうです。 |
|
|
御涼所・御花御殿と続いています |
聴雪
(聴雪とは、、雪の気配を感じ取るほどの
心静かな心境を表わしています) |
|
|
御内庭
御常御殿の東側にある御内庭と呼ばれる庭には、曲折した遣水(やりみず)が流れ、土橋や石橋、木橋が架かっています。
ちなみに、庭を形作る橋や灯籠、庭石などの多くは、天皇への献上品が使われているそうです。 |
|
|
御学問所
慶長18(1613)年に清涼殿から独立した御殿で御読書始や
和歌の会などの学芸の他、対面にも用いられた。
上段・中段・下段を含む6室からなる総畳敷きの建物。 |
御三間
七夕などの内向きの行事に使用され、後の明治天皇が
八才の時、成長を願う儀式がここで行われた |
|
|
京都御所で唯一咲いていた、八重桜一本 |
御台所跡を最後に駐車場へと戻ります
|
|
京都御所の後は、上賀茂神社へとむかいます
賀茂別雷神社は、通称「上賀茂神社」「上神」の名で親しまれている神社です
御祭神は賀茂別雷大神。国宝2棟、重要文化財41棟を含む広大な敷地は全てユネスコ世界文化遺産に登録されています |
|
|
一の鳥居の先に斎王桜が・・・ |
満開です |
|
八重紅枝垂れ桜の【斎王桜】。その名に恥じない美しい枝垂れ桜です。幹周 2.57m、樹高 10m |
|
|
斎王とは平安時代から鎌倉時代にかけて神様にお仕えするため宮中から使わされた未婚の皇女のこと |
|
|
見上げると圧巻です |
|
|
風に吹かれて花びらが舞っていました |
|
|
親王桜は葉桜になっています |
御所桜
孝明天皇が御所から御下賜された枝垂れ桜なので
「御所桜」の名があります |
|
|
斎王桜・親王桜・御所桜と並んでいますが、
同時に満開になることはありません |
馬場殿 |
|
|
二の鳥居 |
楽屋(一切経楽屋)
神仏習会時代共僧方の用いたもの
寛永5年(1628)造替 重要文化財 |
|
|
土屋
往古より神主以下社司の著到殿、現今はお祓所として用いる
寛永5年造替 重要文化財 |
立砂 細殿
盛砂とも云い「たつ」とは神様の御出現した言葉であり
鬼門・裏鬼門のお砂を撒き清める風習は此の立砂の
信仰が起源で「清めの砂」の始まりである |
|
|
手水舎
賀茂別雷大神がお降臨された神山の
くぐり水をくみ上げて使用されていますした |
長寿橋を渡り、楼門へと |
|
|
直会殿(西局)・中門・御籍屋(東局)
重要文化財 |
中門から権殿・本殿(文久3年造替)を
世界文化遺産 |
|
|
玉橋と楼門 |
楼門を振り返る、圧巻です |
|
|
昇殿の内部を・・・ |
ならの川を背に、岩本神社 |
|
|
二葉姫稲荷神社と書かれた、
赤い鳥居が続く石段を登って行きます |
鳥居を登りつめるとちょっと寂れた祠郡が、
上賀茂神社とは正反対の場所でした |
|
|
ならの小川 |
石橋からならの小川 新緑が綺麗 |
|
|
緑ががった八重桜が咲いています |
多分鬱金
集合時間がきました 大急ぎで駐車場へと
|
|
レストラン嵐山で湯豆腐の昼食を済ませ嵐山散策です。散策時間1時間30分程あります。
大龍寺の庭園と本堂を参拝します
天龍寺は暦応2年(1339)に吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために夢想礎石国師を開山とし、
将軍足利尊氏によって建立された臨済宗の本山の一つ |
|
|
渡月橋を・・観光客溢れかえっています |
嵐山駅 |
|
|
天龍寺本堂への参道は新緑 |
|
|
新緑に混じって八重桜がちらほらと・・・ |
新緑に埋もれた、飛雲観音さま |
|
|
新緑の先に、大龍寺 |
天龍寺 庫裏
明治32年(1899)の建立。庫裏は七堂伽藍の一つで台所兼 寺務所の機能を持つ。方丈や客殿と棟続きで、切妻造の 屋根下の大きな三角形の壁を正面に見せています。
参拝料庭園+本堂800円 |
|
|
拝観受付の正面に達磨図が飾られています |
庫裏の奥にある書院の床間にも
達磨図のお軸が掛けられています
広々とした畳敷きの空間は、シンプルでありながら豊かさも
感じます。遠くまですっきりと抜けた大広間をご堪能あれ |
|
|
書院から大方丈方面を |
多宝殿へと続く廊下から |
|
|
多宝殿へと続く屋根付きの渡り廊下
右側には茶室が設けてありました |
廊下の左右のお庭も見事です |
|
|
多宝殿縁正面から庭園を・・枝垂れ桜は葉桜になっていました |
多宝殿縁から百花苑 |
|
|
多宝殿内部、襖絵が見事です |
中央に後醍醐天皇の像、
両側に歴代天皇の尊牌が祀られている。 |
|
|
昭和9年(1934)に建築されたもので、拝堂には
正面に1間の階段付き向拝を持ち、あがると広縁になる。 |
渡り廊下を戻ります |
|
|
渡り廊下から・・日陰つつじが咲いています |
書院から大方丈へと向かいます |
|
お堂に上がって見る庭園こそ、天龍寺の醍醐味。曹源池の周囲にある白い石、水面に映る木々、
隅々までデザインされた大小さまざまな庭など、一つひとつ見応えがあります。なんともいえない開放感に包まれます。 |
|
|
内部は六間取り(表3室、裏3室)の方丈形式で、
中央の「室中」は釈迦尊像を祀る48畳敷き、左右の部屋は
ともに24畳敷きで3室を通して使うこともでき、
欄間の下に襖を立てれば個別にも使用できる。 |
大方丈の本尊は釈迦如来坐像【重要文化財】。
平安時代後期の作とされ天龍寺の造営よりもはるかに古い。
天龍寺が受けた都合8度の火災のいずれにも罹災せず
助けられた仏像で、天龍寺に祀られる仏像の中で最も古い像
|
|
|
方丈とは禅宗様式伽藍の一つで住職の居室です
大方丈と小方丈(書院)からなる。大方丈は明治32年(1899)、小方丈は大正13年(1924)の建築。
大方丈は天龍寺最大の建物で、正面と背面に幅広い広縁をもち、さらにその外に落縁をめぐらせています
庭園へと進みます |
|
|
可愛い花は庭桜と |
|
|
大方丈の裏側になる西は曹源池に面し大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもある池泉回遊式庭園。
約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定。 |
|
|
どこを見ても緑一色で~す 緑が眩しい |
庭園から多宝殿・・後醍醐天皇の尊像を祀る祠堂 |
|
|
庭園ぶらぶら・・ |
石楠花があっちこっちで見頃を向かえています |
|
|
真っ白のつつじは、白山つつじ |
|
|
散策路の所々に椅子が設置されています |
こちらの白は石楠花 |
|
|
緑に包まれながらぶ~らぶら
秋になると紅葉も見事だろうなぁ 秋にもう一度 |
|
|
白の石楠花が沢山咲いていました |
太陽石楠花 |
|
|
天龍寺の境内にある精進料理店「篩月(しげつ)」では
「ミシュランガイド」でもビブグルマンに認定された
絶品のお料理がいただけます。 |
黄色が鮮やかな山吹 |
|
|
長辻通りへ通りへ戻って来ました |
嵐山ちりめん細工館
京ばあむをお土産に買い、集合場所へと急ぎます |