2011年4月21日、枝垂れ桜が最高に美しい処“原谷苑”があると聞き、早速行って見る事にしました。原谷苑の近く、金閣寺、仁和寺、あだしの念仏寺にも・・・金閣寺は修学旅行の中学生でいっぱい・・ 仁和寺は団塊の世代でいっぱい・・あだしの念仏寺は数人・・でした
1層(初層) 寝殿造りで法水院(ほうすいいん)と呼ばれ、中央に宝冠釈迦如来像、向かって左に
足利義満像が安置されています

2層 武家造りで潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれ、岩屋観音像と四天王像が安置されています。
3層 禅宗仏殿造りで究竟頂(くっきょうちょう)とよばれます
屋根 椹(さわら)の薄い板を重ねた柿葺(こけらぶき)で上には鳳凰が飾られています。
車窓から東寺を(京都南インター下りてすぐに) 金閣寺駐車場から左大文字山を
鹿苑寺境内図 参道から総門を
総門をくぐるとすぐに鐘楼が 受付横から書院・庫裡・事務所を・・・
青空の晴れた日の鏡湖池(きょうこち)に映る金閣は、
湖面によく映えて美しくまさに極楽浄土。池には葦原島
や入亀島など島々が並ぶ。面積は約6600㎡。この池を
中心に池泉回遊式と船遊式庭園が広がっている。
金閣寺を代表する建物。漆塗りに金箔を張ったこの
建物は舎利殿で、三代将軍・足利義満が造営した
北山山荘で唯一解体を逃れた建造物。1950年の
失火で全焼。1955年に焼失前の状態に再建。
松の間から金閣寺・舎利殿を望む 陸舟の松(りくしゅうのまつ)
足利義満遺愛の盆栽を移し帆掛け舟の形に仕立てたと
伝えられる五葉の松(樹齢約600年)陸舟の松とも呼ぶ
龍門滝と鯉魚石
2.3mの高さから流れ落ちる龍門滝(りゅうもんのたき)。
中国の出世を意味する故事「登竜門」にちなんで、
滝の下には鯉魚石(りぎょせき)が置かれている
夕佳亭(せっかてい)から金閣を望む
風に舞い散る桜も・・・・
夕佳亭(せっかてい)は江戸時代の茶道家金森宗和が建てた数寄屋造りの茶室。夕暮れ時にここから眺める
金閣(舎利殿)が夕日に映えて殊の外美しいことから、夕日に佳い茶室夕佳亭と名付けられました。
銀河泉(ぎんがせん)は足利義満がお茶の水に
使ったと伝えられる泉で、今も水が湧きだしています。
不動堂・本尊は弘法大師が作られたと伝えられる
石不動明王で霊験あらたかな秘仏として広く
一般に信仰されています
茶所で一服 抹茶とお菓子を頂ました

金閣寺を後に、 洛北原谷にある 原谷苑へ向います。 タクシー(800円)で
個人の農園ですが、20数種の桜、椿、吉野ツツジ、馬酔木、木瓜、ユキヤナギ、石楠花
などの花が楽しめる素敵なところです。八重紅枝垂れ桜を始め、数百本の桜やモミジが植えられています。

入苑すぐに、息をのむ美しさです。
足元にはユキヤナギ どちらを向いても枝垂れさくらが・・
枝垂れさくらの花に埋もれて・・・・
桜とユキヤナギの競演、どちらも見事です 木瓜も負けじと咲いています。
吉野ツツジ ボケ
山吹も華を添えて
見上げると桜がとても美しく迫力満点です。
・・・・・・花の下にて・・・・・
桜、ユキヤナギ、吉野ツツジの饗宴を堪能できました
原谷苑からぶらぶら仁和寺に向けて歩きます。
山斜面はツツジが満開
仁和寺の途中道脇に八重桜が・・
約30分の歩きで仁和寺に到着しました。


仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。
東門 仁和寺全景案内板
中門 中門から仁王門を
満開の御室桜(おむろざくら)通路に吸い込まれていくようです。
御室さくら・・風に舞う花吹雪が綺麗でした。 御室桜と五重塔を望む
観音堂・・・本尊は千手観音菩薩で、脇侍として
不動明王・降三世明王、その周りには
二十八部衆が安置されています。
御影堂・・・弘法大師像、宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像を
安置。約10m四方の小堂ですが、檜皮葺を用いた外観は、
弘法大師が住まう落ち着いた仏堂といえます。
鐘楼・・重要文化財
通常吊られた鐘は外から見ることが出来ますが、
この鐘は周囲を板で覆われており見ることが出来ません。
金堂・・・国宝
仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂。
紫色のツツジも満開です。 五重塔・・重要文化財
寛永21年(1644年)建立。塔身32.7m、総高36.18m。
東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の幅に
あまり差が見られない姿が特徴的。
御室桜(おむろざくら)は遅咲きで、背丈の低い桜です
その数約200本で江戸初期には現在の場所に植えられていたようです。
楊貴妃 御室桜
本坊表門から御殿を 御殿から白書院へと続く廊下
御殿から白書院への廊下へ、廊下から勅使門を 白書院・・襖絵などは、昭和12年(1937年)に福永晴帆
(1883〜1861)画伯による松の絵が部屋全体に
描かれています。
宸殿を望む・・儀式や式典に使用される御殿の中心建物 白書院から南庭と勅使門を望む
タクシーで金閣寺駐車場まで戻り、8キロほどの所にある“あだしの念仏寺”に直行です。

空海(弘法大師)が五智山如来寺を建て野ざらしの遺骸を埋葬。のち法然が念仏道場としてから今の寺名に改めた。本堂は1712年(正徳2)寂道上人の再建。「あだしの」は「化野」と記す。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往来する願いなどを意図しています。
あだしの念仏寺入口 賽の河原を外側から
石の阿弥陀三尊 本堂
六面地蔵尊に向けて木漏れ日の竹林を進みます
六面六体地蔵様 六面六体地蔵の説明文
賽の河原を望む・・
物悲しい雰囲気が漂っていました。
桜の季節のあだしの念仏寺
古来この地一帯は化野(あだしの)と呼ばれ、死体が捨てられる風葬の場であった。後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所です。
境内に奉る八千体を数える石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓である。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没していた石仏を、明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。この無縁仏の霊にローソクをお供えする千灯供養は地蔵尊の夕刻よりおこなわれ、光りと闇と石仏が織りなす光景は浄土具現の感があり多くの参詣がある
樹の幹からすみれの花が・・ あだしの念仏寺参道・・・
こちらでお線香のお土産を買いました
嵐山、渡月橋にも立ち寄りましたが、
時間も遅かったせいか観光客の姿もまばらでした。
帰路、京橋インターで下り、ミュンヘン神戸大使館で食事です。
美味しい料理も頂き、最高の一日になりました。