2011年6月24日〜25日にかけて壱岐の島、生月島に行ってきました。梅雨の真っ只中天気予報では曇り時々雨です。伊丹空港7時20分集合 8時00分発 福岡空港9時15分着。福岡空港では晴れです。一日目は、隠れキリシタンの島として有名な生月島・大バエ灯台、塩俵の断崖。唐津にて活鳥賊会席の夕食 2日目は壱岐の島・左京鼻、はらほげ地蔵、猿岩と・・・車窓の風景も楽しんできました。


伊丹空港 レストランから


生月島地図
 団体受付を済ませ朝食のホットケーキとレモンティ  壱岐の島地図
福岡空港から一路生月島に向けて・・・
福岡都市高速1号線車窓博多湾を
福岡都市高速1号線車窓
福岡ヤフージャパンドーム
伊万里“道の駅”で休憩です 伊万里“道の駅” 伊万里焼の体験室
国道24号線 車窓 松浦水軍の兜 北松浦半島から平戸橋を渡り平戸島へ
昼食場所千里ヶ浜温泉“ホテル蘭風”
駐車場から千里ヶ浜海水浴場を POの昼食を断り、長崎チャンポンを頂ました
ホテル蘭風・潮風が気持ちいい、テラス ホテル蘭風のテラスから千里ヶ浜海水浴場を
長崎シャンポンの昼食を済ませ生月島へと生月橋を渡ります



生月島の最北端に位置し、100m程切り立つ大バエ断崖(大碆鼻)の上にたつ白亜の無人灯台。全国でも珍しく展望所が設置されており、階段で登ることができます。360度のパノラマ眺望で、海と空が溶けあう雄大な水平線は必見。また、水平線に沈み行く夕日も又必見。

昭和33年に初点灯した大バエ灯台
大バエ灯台より南部を望む
大バエ灯台から東海岸方面を 生月島の西海岸の断崖。右の岩部分が、
柱状節理の塩俵の断崖に続く。
大バエ灯台から北方面を 鯨島と的場大島風力発電を望む
アザミと鯨島 方位計
灯台からは壱岐、対馬を望むことが出来ます。今回は望むことが出来ませんでしたが、
視界いっぱいに水平線が広がる景色はすばらしいです。まさに360度の展望が楽しめました。


「塩俵の断崖」は玄海灘の荒波に洗われてできた、雄大な亀の甲模様の玄武岩の柱状節理であり、生月島西海岸を代表する景勝地です。この柱状節理は新第三紀(約2500万年前〜500万年前)にできた溶岩台地です。柱状節理は溶岩流が厚い部分に発達する場合が多く、玄武岩の柱はほぼ垂直で、さらに水平に亀裂が生じて蜂の巣状の俵を重ねた様になるようです。ここ「塩俵の断崖」の柱状節理は県内でも代表的なもので、南北に約500m の長さがあり、海面からの高さも20m もあります。
塩俵の断崖へと続く階段を下りる 雄大な柱状節理の断崖が続く生月島西海岸を
代表する景勝地「塩俵の断崖」を望む
並んだ亀甲模様をした石柱群が連なり下方の石は塩俵積み重ねたようです。
自然が作り出した壮大な彫刻です。
展望台もあります。 自然歩道から断崖を見下ろす
塩俵の断崖を見学後、平戸市内ザビエル記念聖堂へと向います。途中、生月大橋道の駅で休憩です。

 生月大橋は、平戸島、生月島を結ぶ橋で、中央径間は400メートルあり、三径間連続トラス橋としては世界最大規模です。その長さは全長960mにのぼり、潮流の飛び散る白い水しぶきがライトブルーの『生月大橋』と美しいコントラストを織り成しています。
道の駅から生月大橋を望む 道の駅“生月大橋”
橋の下にレンガの煙突が残っている「100年くらい前の
昔に冷蔵庫もなかった時代に獲った魚を腐らない
ように、火であぶっていた・・・・名残」


橋の下から望む
平戸城(別名:亀岡城)平戸藩主松浦30代雄香公棟により宝永4年(1707年)の築城によるもので、山鹿流の縄張り設計による日本唯一の平山城である。
ザビエル記念聖堂への駐車場にて・・・平戸瀬戸につき出た高台にある平戸城を望む
駐車場から平戸城を望む 平戸が外国との交流が盛んであった頃に明の商人も
多く平戸に定住しており、当時の明式の六角形の井戸
ザビエル記念聖堂への途中、推定樹齢400年の大ソテツを ザビエル記念聖堂へと石段を登る。
平戸港の西の小高い丘の上にある薄いグリーン色の教会。この協会は天文19年(1550年)に平戸を訪れたフランシスコ・ザビエルを記念して、昭和6年に建てられた聖堂です。この周りには寺院も多くあり寺院と教会が同居する平戸独特の風景を作っている。
ザビエル記念聖堂が見えてきた。 ザビエル記念聖堂階段横にマリア像
ザビエル記念聖堂 ザビエル記念聖堂正面
ザビエル記念聖堂裏側 寺院と教会の見える風景
寺院に重なるように天主堂の尖塔が望まれる場所。石畳の階段から見上げると光明寺その下が瑞雲寺。
その光景は平戸の異国情緒の香を感じさせます。
教会と寺院が同居する平戸独特の風景 寺院横の坂道に咲くあじさい

ザビエル記念聖堂ぶらぶら後、今夜の宿泊地、唐津ロイヤルホテルへと・・・夕食は“おさかな村”で活鳥賊会席です。
マリンセンターおさかな村での夕食活鳥賊会席 私たちが宿泊するお部屋
唐津ロイヤルホテル・部屋から見た夜の松浦川 唐津ロイヤルホテル・部屋から見た朝の松浦川
25日出発前・・唐津ロイヤルホテルを車道から 唐津東港から唐津城を望む
唐津東港から宝くじが当たることで有名な
宝当神社がある高島を望む
唐津東港から壱岐の島印通寺港への100分の
船旅をエメラルドからつで
船上から高島を・・宝くじが当たりますように
お願いしました。
壱岐の島印通寺港が見えてきた。
車窓・・原の辻遺跡


八幡半島の突端にある左京鼻は海蝕断崖が1Kmも続き先端は芝生の広場になっています。ここは玄武岩の柱状節理がいたるところで見られるが、特に海の中から突き出た柱状節理の岩礁があり、その岩礁に白い波がぶつかる風景はダイナミックです。
 「左京鼻」の由来はいろいろあるが、江戸時代の初めころ雨が降らず作物は枯死にひんし人々は苦しんでいた。
陰陽師の後藤左京と龍蔵寺五世日峰和尚が一身に祈祷したが雨は降らなかった。後藤左京はこの断崖から身を
投げようとした時、大雨が降ったと言う。この話よりこの岬を左京鼻と言うらしい。
礁に白い波がぶつかる風景はダイナミックです。
断崖絶壁の岬にある左京鼻龍神
この岩礁は海鵜(うみう)の住家になっているようです。 玄武岩の柱状節理がいたるところで見られる
左京鼻南部の断崖
ずーっと続く草原
左京鼻草原のアザミ 小さな花も無数に

岸にある6体の地蔵で腹部に小さな穴が開いている。「ほげる」は穴が開くという意味。写真の左端のお地蔵さんの中央のくぼみが穴で、他の地蔵は前掛けがしてあるので穴が見えません。潮が満ちると身体の半分ほどが海水につかる。なぜ穴が開いているかはよくわかっていないそうです。この地蔵は何度か場所を移されており、2005年の地震でも被害を受けて写真のように足元が整備されたそうです。
腹部に小さな穴が開いている。 引き潮で海水に浸かっていなかったです。
海に浮いている所が見たかったです。
車窓・・壱岐の島、中心へそ石を 車窓・・鬼の洞窟・・・6世紀後半〜7世紀前半頃に築造された横穴式石室古墳。石室は壱岐最大(全国12位)で全長16m、天井石は4mもある。当時の豪族の墓らしいといわれている

黒崎砲台跡 :戦艦土佐の40センチ主砲を取り付けて作られたもので、弾丸の直径40cm、弾丸の重量1000kg、射程距離は35kmであった。実戦では一度も使用されることなく、戦後取り壊された。写真の二つの砲弾模型のうち向こう側のものが黒崎砲台のもので、手前のものは戦艦大和の砲弾模型(46cm)。
入口横に砲弾(手前 戦艦大和の砲弾模型) 黒崎砲台跡入口
東洋一の巨大な地下要塞だったようです。以前は中の方まで
入って見学できたが、2005年の地震で中の方が危険になり、
途中までしか入れなくなったそうです。

上側から見た黒崎砲台の巨大な穴跡 
猿岩展望所側の山道を少し登ったとこから
見ることが出来ます。
黒崎半島のさらに先端にある高さ45mの海蝕崖の玄武岩。そっぽを向いた猿にそっくりで、気紛れな自然の造形に驚かされる。
駐車場から猿岩 猿岩展望所
海蝕により横を向いた猿にそっくりの形をしています。むりやりなんとか岩という名前を
付けたような岩は数多いが、ここの岩はほんとうに猿(ゴリラ?)にそっくりです。


海女心(あまごころ)ウニハウス本舗で昼食です。 ウニハウスで、うに飯の昼食
最後の見学場所・
壱岐の酒造株式会社“麦焼酎壱岐っ娘”
九州郵船“印通寺港”少し雨が降ってきました。
唐津東港が見えてきた・・
九州電力唐津発電所が目の前に
福岡都市高速1号線から福岡タワーを
福岡都市高速2号線 福岡空港のお花畑とネムノキ
福岡空港到着です。旅ももうすぐ終わりです。 ロビーからANA機を
福岡空港離陸後すぐの夜景19時31分 伊丹空港着陸少し前の夜景20時19分

天気予報もはずれ、雨に降られる事もなく楽しい2日間を過ごす事が出来ました。晴れ女バンザ〜イ。