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2014年7月23日、24日天空の歴史遺産と瀬戸内クルーズ2日間の旅に行ってきました。
西宮7時50分 私たちは三宮東遊園地内 北東角8時30分集合40分出発です。 が、なかなかバスが来ません。集合している人達から「これだけ多くいるから置いて行かれることはない、とか時間を守れ」、とか色んな言葉が飛び交っています。バスが到着したのは9時になっていました。 |
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集合場所・花壇には色んな花が植えられています。
何匹いるのか分らない位の蝉の声が聞こえています。
朝から暑いです。
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エーゲ海に捧ぐ 銅像
暑いのでじっとしては居れません
公園内うろうろです。 蝉の声が五月蠅いのに
木々を見上げても蝉の姿が見えないです
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車窓 大鳴門橋を渡っています。 空と海の境目が
はっきりせず幻想的な風景になっています。 |
車窓・・信号で停止中です。
ひまわり畑、皆向こうをむいています。
よーく見ると一輪二輪こちらを向いているのもあります。 |
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吉野川SAで昼食タイム |
吉野川ハイウエイオアシス みのだ亭でオプションの昼食
炊き込みご飯と讃岐うどん
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大型バスでは行けないので、マイントピア別子・端出場ゾーンからマイクロバス二台に乗り換え約30分、東平(とうなる)地区」へ地区は「マイントピア別子・東平ゾーン」として整備され、駐車場、歴史資料館、マイン工房などを設置。しかし、その観光の中心は昭和43年の東平坑休止により無人の地となった後の「産業遺産」大規模のものから森の中に残るわずかな痕跡まで大小の産業遺産が今でも数多く残っている。最盛期には3800人の銅山関係者とその家族が住んでいました。 |
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マイクロバス二台に乗り換え |
車窓から共同風呂の基礎跡を見下ろす。 |
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車窓・・・小、中学校跡、
今は銅山の里・自然の家になっています。
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道路の両脇には紫陽花が・・・ |
東平歴史資料館・・・東平の歴史や往時の生活文化をジオラマ、地形模型、写真、映像などにより
紹介し、銅に係る製品や鉱石などが展示してあります。 |
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案内図 |
東平歴史資料館・・・ |
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最盛期の頃の写真パネル |
東平の住宅は殆どが社宅・
明治30年代末頃建築した社宅 |
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社宅の模型・・・明治30年代末頃の社宅 共同浴場や水場などもあり社宅内を家族的な雰囲気にしていました。 |
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往時の娯楽施設の模型
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小学校の模型・・・明治39年に20人で開校。 昭和2年には
695人 昭和43年3月 東平坑休止に伴い閉校
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最盛期の頃の生活風景の写真パネル 坂道
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写真パネル きびしい冬 |
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銅に係る製品や鉱石などが展示してあります。
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鉱山鉄道のトンネルです。当時の鉱山運搬機器類が展示されており人々の運送を担った
「かご電車」や索道に吊られていた「索道バケット」の実物もみる事が出来ます。・・・ |
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入口 |
けん引きに使われた2トン蓄電車 |
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昭和13年から48年の休山まで東平坑口と浦坑口の
間4キロの坑内を往き来する人々が乗った人車です |
出口 |
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石が積まれ山状になっている内部が今は鉱山運搬機器展示場 |
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巨大な産業遺産の遺構が姿を現します。別子銅山の東平索道停車場跡・貯蔵庫跡 |
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索道停車場跡を見下ろす・・端出場(はでば)とを
結ぶ索道(リフト)が鉱石運搬は勿論生活用品から
郵便、新聞に至るまで運んでいた主要運送機関。
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索道停車場跡へと220段の石段を下ります。
この急階段はかってのインクライン跡
(傾斜面にレールを敷いてトロッコを走らせる
ケーブルカーの一種)両脇には紫陽花が見頃です。 |
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220段の石段を遺構まで下ってきました。 |
索道停車場跡から社宅跡を見下ろす。
この社宅は一所帯・・三棟は基礎だけ
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巨大な貯蔵庫跡
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索道基地・貯鉱庫跡・ひときわ目を引く索道基地。重厚な花崗岩造り東洋のマチュピチュと称されています。明治38年頃に造られ鉱山で採掘されたものを保管していました。
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索道停車場跡・・・ここから今のマイトピア別子の
端出場ゾーンまで索道が繋がっていました。 |
貯蔵庫跡を見上げる
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あっちこっちの石垣の間からヤマホタルブクロが |
インクライン跡・220段の石段を上ります |
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マイン工房(旧東平保安本部)明治37年に造られた歴史ある建物です
今は銅版レリーフの制作などが体験出来る工房になっています。又東平の四季の写真も展示してあります。 |
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マイン工房から・・別子銅山東平駐車場などパノラマで・・ |
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東平ゾーンから端出場ゾーン(鉱山観光トロッコ列車
乗車)へと戻ります。端出場(はでば)ゾーン近くには、
このようなループ橋も渡れます。 |
トロッコ列車「はでば駅) 5分程の乗車です。
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列車内は風鈴が風になびき涼しい音をたてています。 |
うちよけ駅到着 |
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観光坑道案内図・・可愛いイラストで描かれています。 |
橋を渡り端出場坑道へと・・・ |
坑道の中には「江戸ゾーン」・江戸時代の採鉱を人形を使って再現、「近代ゾーン」・明治から大正にかけての
別子銅山をジオラマや映像で再現、「体験ゾーン」・採鉱の運搬、湧水の汲み上げを体験出来るゾーンがあります。 |
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坑内18.3度です 一気に汗が引き生き返ったようです。 |
鍾乳洞のような雰囲気も・・・ |
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坑道内に、歓喜坑から第4通洞までの模型 |
坑内に採掘したものが展示 |
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江戸ゾーンへと・・・歓喜坑、元禄4年(1691年)に
開かれた最初の坑道 |
負夫と掘子はサザエの貝殻で作った明り取りを
手に坑内へと入ります。 |
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堀場・採鉱は主に鎚とノミ等を使い
手作業で行われていました。
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湧水の引き上げ・採鉱を採ると石の目を伝って水が
溜まり採鉱が難しくなりました。そこでこの湧水を
坑外へ汲みだす作業が行われていました。
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坑口と風呂場・銅山では歓喜坑を出るとすぐ
共同浴場があり大変便利に作られており、銅山で
働く人々はその日の作業を終えると、これを使い
疲れを癒していました。
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砕女小屋・運ば出された鉱石は砕女(かなめ)と
呼ばれる女性たちによって、かなづちで一寸角位の
大きさに砕かれ、色の濃淡によって選別されていました。
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銅の製錬・・選別された銅は多くの行程を
終えて製錬されました。
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中持ち・中持ちとは運搬夫(婦)のことを言います。
銅山から行きは粗銅や半製品の銅の固まりを、
帰りには米や味噌の生活用品を運びます。
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粗銅改め・山で作られた粗銅は山役人の立ち合いの
もとに作られた量を計られました。当時、銅山税として
生産量の13%が幕府に納められていました。 |
山神社・昔から鉱業を行う者が信仰した大山積神を
まつるものです。人々は坑内にこの神をまつり
作業の無事を祈りました。 |
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動く巨大ジオラマ・明治から昭和の模様を一か所に集約したものです。 |
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動く巨大ジオラマ・巧妙に作られています。 |
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体験ゾーン・湧水の引き上げ、掘削の体験などができます。 |
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皆、色んな事に挑戦しています。 |
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坑外へ出ると、いちどに汗が吹き出します 暑いです。坑内は18度、暑さを忘れていました。
はでば駅へと戻ります。 東洋のマチュピチュ十分楽しむ事が出来ました。松山市内のホテルへと向かいます。
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全日空ホテルに到着です。今回のツアーでは宿泊プランを選ぶ事が出来ます。4000円+で道後温泉です。私たちは松山市内の全日空ホテルです。夕食は自由食 市内グルメマップを貰いましたが、ホテル内14Fの「プロヴァンスダイニング」でディナーを楽しみます。 |
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松山城が山の上に見えます。
山裾には洒落た洋館が・・・ |
松山城 明日10時15分まで自由行動です。
朝いち高松城まで散策することに決めました。 |
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萬翠荘・・大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる
久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵が別邸として
建築したもので、今は絵画、掛け軸、伝統芸術品が
展示されている。 ボーイさんが教えてくれました。 |
14F プロヴァンスダイニング
私たち2人だけです。
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ゆっくりディナーを楽しむことができました。ワイン1杯でホンノリ 5200円なり
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夕食後道後温泉へぶら~っと入浴に。行き方をホテルで尋ねると市内(路面)電車ですぐですよと・・・ |
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全日空ホテル外観 |
路面電車停車場 どこまで乗っても160円です。 |
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10分程で道後温泉駅到着 |
道湯温泉駅に停車している坊ちゃん電車
市内を走っている電車なのか?それとも展示だけ?? |
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道後温泉駅で~す。 |
坊ちゃんからくり時計・・・道後温泉駅の正面(放生園)にあり、
道後温泉本館の振鷺閣をモチーフにした時計です。
その横には足湯があり多くの観光客で賑わっていました。 |
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道後温泉ハイカラ通りを坊ちゃん湯へと・・坊ちゃん
だんご、タルトなどお土産店がズラリ並んでいます。 |
道後温泉本館の姉妹湯・椿の湯
私たちはやはり本館坊ちゃん湯に入湯る事に・・・ |
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道後温泉本館は、道後温泉の中心にある共同浴場です。
別名・坊ちゃん湯。戦前に建築された歴史ある建物で、
街のシンボル的存在であり、1994年に国の重要文化財と
して指定されています。
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坊ちゃん愛用の間をこっそり覗いてきました。
漱石が湯上りに寛いだ部屋を再現したもので、
漱石の写真や胸像が飾られていました。 |
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道後温泉全景・・・・ホテルへと戻ります
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7月24日、ツアー出発10時15分です。時間が十分あるので松山城まで行ってみる事に、
朝から暑いです。松山城本丸は標高132mの山頂にあるため歩いて登るには大変なので
8時30分始発ロープウェイで、行く事にしました。 |
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ロープウェイ街を駅に向けて
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お店の入口には七夕飾りが |
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10分程でロープウェイ駅到着です。
下からの熱気が暑いです。 |
ロープウェイ駅構内には松山城の
本物そっくりの模型が
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チケットは共通券になっていて並行しています。
どちらでも好きな乗り物を選ぶ事が出来ます。
私たちはリフトで、ロープウェイが追い越して行きます。
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ロープウェイ山頂駅から松山城大手門へと
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松山城の石垣は、松山城を特徴づける構造物の一つです。
主に花崗岩で高さ10mを越え美しい曲線を描く、扇勾配と
屈折を連続されることで防御性を高めていました。
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大手門跡から中ノ門跡へと・・・前方「太鼓櫓」
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前方「戸無門」この門は本丸の大手入口の最初に
現存する高麗門。登城道U字屈折の終点に位置する。
昔から門扉が無いので戸無門と呼ばれています。
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筒井門・・この門は築城の際、正木城から移築
されたと伝えられている松山城最大の櫓門。
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切符売り場のおじさんに教えてもらった、一番綺麗に松山城大天守と小天守が望める所からパチリ |
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城内へと・・・中央大天守
右・一ノ門南櫓 左・小天守
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一ノ門・・・一ノ門は天守に通じる本壇入口を
守る門で大きく豪放な構えとなっています。
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二ノ門 |
筋鉄門(すじがねもん)・・・筋鉄門は櫓門で天守玄関が
ある中庭を防衛する重要な門です。この門の櫓は
小天守と大天守をつないでいます。
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天守内部へと・・・
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いざ 出陣じゃ
甲冑の装着の手順が描かれています。 |
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先人が利用したであろう鎧兜
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天守閣内部には槍や薙刀日本刀などが展示
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天守より一ノ門南櫓 二ノ門南櫓
三ノ門南櫓を見下ろす。
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天守・天守内部
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天守から太鼓櫓を望む |
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天守・南方面・・松山市役所・松山市駅方面 |
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天守・北方面・・・松山大学・瀬戸内海方面 |
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西方面・・・JR松山駅・松山空港方面 |
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天守の階段を下ります。 出発時間が近づいてきました。ホテルへと戻ります
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ホテル出発 バス移動1時間程でリンリンパークで昼食タイムですリンリンパークは
小町温泉・くだもの市場・土産店などを備えています。 敷地裏には錦鯉の庭園もあります。 |
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リンリンパーク |
オプション1500円の鯛茶漬けの昼食
天ぷらと鯖の煮つけも付いています。
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錦鯉の庭園 鯉の餌も売っています。
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午後からの行程は、しまなみ海道・亀老山展望台・来島うずしおクルーズ・来島上陸です。 |
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亀老山展望台駐車場に亀 |
亀老山の由来案内板
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亀老山展望台から・・・ 階段を登りきった先に瀬戸内海の景色が待っています |
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亀老山展望台から・・・標高307.8mしまなみ海道の眺望を有する絶景の展望台です。 |
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来島海峡大橋を望む
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下田水港から来島うずしおクルーズです。 |
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瀬戸内海の多島や日本三大急潮流のひとつして有名な来島海峡の急流を間近に体験します。
さらに世界初の三連吊橋「来島海峡大橋を海上から望み橋くぐりも・・・・見どころ満載のクルーズを楽しみます。 |
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大橋をくぐります・・・・ |
うずが少しまいています。
真ん中の席なので写真写すのが困難です。 |
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船のエンジンが止まります。 |
これが渦潮か?もっと大きい渦を期待していたのに |
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流れが激しいいです。船が流されています。 |
明治時代に建てられた芸予要塞の大砲台が残る
「小島」(おしま)周囲約3キロの小さな島は
島の宝100選にも選ばれています。 |
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日本一海事都市「今治」の象徴で
ある造船所群を湾内から望む。
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造船所群 ドック入りした船がズラリ並んでいます。 |
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来島が見えてきました。 |
来島上陸です。 八千矛神社・来島城の
守り神として建立されたと伝えられています。 |
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⇚ 来島地図
来島は周囲わずか1kmの小さな島で、来島村上水軍の本拠地として知られています。島全体が急流に守られた天然の要塞で周囲には石垣を巡らせ、本丸・二の丸・三の丸を備え立派な城壁が築かれていました。 |
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来島島内散策です。 柱穴跡へと・・
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柱穴跡
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柱穴跡・・・岩礁に在る無数の穴は桟橋の柱を建てた跡だと言われています。 |
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来島海峡を望む |
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家が立ち並んでいますが、ほとんど空き家です。
現在の島民人口13名程だそうです |
石垣遺構・・山頂に至る石垣の遺構が
今も残っています。 |
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心月庵へと
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来島城主の屋敷跡・・
現在は心月庵と呼ばれています。 |
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石垣が残る道を汗だくになりながら登ります。
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村上神社へと |
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石段を登れば、村上神社
村上氏の先祖が祀られています |
本丸跡へと |
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来島城 本丸跡・・・今は何もありません
ただ蝉の声が聞こえるだけです。
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本丸跡から来島大橋を・・絶景な風景です。 |
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集合時間に間があるので海岸沿いちょいぶらです。
こちらもほとんど空き家状態です。
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来島を後に下田水港へ
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来島大橋を船上から眺める |
車窓・しまなみ海道 |
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全ての工程が終わりました。尾道から山陽道・中国道・三宮へ・・・・
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