ぶらり和歌山  
  2012年3月14日、和歌山・角谷整形病院で脊髄狭窄症(内視鏡の手術)で入院していた実家の兄、無事退院です。退院祝いに白浜温泉で1泊することにしました。美味しいものを食べ温泉にゆっくり浸かり病院での垢を落とします。
紀ノ川SA・・花壇の花が満開 紀ノ川SAから和歌山市内を望む
   
 少し時間が早いので旅館の近くにある千畳敷ぶらぶらです。
千畳敷は、太平洋に突き出た広大なスロープ性砂岩。このデコボコの岩畳は、
第3紀層のやわらかい砂岩が打ち寄せる荒波に長い間侵蝕されてできたもの。
白浜を代表する景勝地です。 
岩畳は迫力があって大自然の偉大さを感じます。
この雄大な風景をぶちこわしにする落書きが、あたり一面にびっしり・・
 瀬戸崎に広がる畳を幾重にも重ねたような岩の
大畳から、こういう名称になったようです
千畳敷に沈む夕日は、全国夕日100選に選ばれるほど
沈む夕日をみるのにはもう少し時間がかかりそう

 
 退院祝いの祝杯です。民宿 浜ぼう・・伊勢えび・クエ・まぐろ・イカ・あわびの刺身
クエ鍋(クエの魚は一年に1キロ成長するとか
30キロだと30年・・民宿のおかみさんに聞きました)
クエの煮つけ・・・
コラーゲンいっぱいです。
クエの天ぷら 熊野牛のサイコロステーキ・・
柔らかく美味しかったです
お決まりの茶碗蒸し デザート
浜ぼう朝食です 昨夜の伊勢海老・・最高のお味噌汁です 



 
千畳敷の南海岸にそそり立つ断崖が、垂直に海へ落ちているもので、このような断崖、奇岩が南へ約2kmにわたり続いています。岩肌に打ち寄せる黒潮が激しくぶつかりあうダイナミックな光景には、自然の迫力を感じます。 また、この崖下に熊野水軍の隠し洞窟と呼ばれる洞窟があります。洞窟へ下りるには、有料のエレベーターを使います。ちょっと料金(1200円)は高いけど降りてみることにしました。
三段壁展望台 展望台から三段壁の鼻方面を
展望台から太平洋を 高速エレベータを降りると、そこは地底洞窟への入り口
エレベータ前にゆかたを着た熊野水軍がお出迎え
地底36mの洞窟から今日の太平洋は穏やかです 洞窟内から太平洋の大海原を 
十像岩・・三段壁上の展望台からみると変哲のない大きな岩も、洞窟内から見ると
不思議な形をしています。様々な名前がつけられています。
牟婁大辨財天様がお祀りしてあります。・・
芸能や水、神社・仏閣の神様と言われ、
十六童子を従えて鎮座しています。
江戸時代に掘られていた鉱山の縦穴の跡があります。
鉛などの鉱物を掘り出して地上に運び出すための縦穴
熊野水軍が船隠し洞窟として使っていた際にその船を見張るために作られた番所小屋
洞窟内に 構成状態の案内版 太陽の日が差し込んだ洞窟の海は
青くきらめいている
潮吹き岩:岩盤の下には、大きな空洞がありその空洞に
海水が入ることによって上に開いた穴から海水が吹き上がる。
・・珍しい光景を見ることができました。
洞窟の最深部・・・
潮吹き岩前にて記念撮影 
数千万年もの年月をかけて波が削り取った
珍しい天井岩盤。
三段壁洞窟への案内板


こんもりと緑茂る虎伏山に白亜の天守閣がそびえ、御三家の威容にふさわしい風格を醸し出しています。和歌山城は、天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。その築城を担当したのが、築城の名人藤堂高虎で、本丸・一の丸を造りました。まず、秀長の城代として桑山重晴が入り、慶長5年(1600)には、関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入城。そして、元和5年(1619)には徳川家康の第10子・頼宣が入城し、紀州55万5千石の城となり、以来、水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつとして、長い歴史を刻んできました。
どうしても立ち寄りたかった和歌山城へと・・
石段を元気に上っているのが兄でーす。
和歌山城の石垣には、紀州特産の青石
(緑泥片岩)が多く使われています。
裏登閣口から本丸御殿を見上げる・・・和歌山城は1846年に落雷で消失し、4年後に再建された。
この再建天守は昭和20年に戦火を蒙り、再び消失してしまった。和歌山城再建を望む市民の
熱意によって昭和33年に鉄筋コンクリート造の天守が復元された
裏登閣口から天守閣へと 本丸は標高48.9m虎伏山の頂きに位置し東部の
本丸御殿と西部の天守郭(曲輪)で構成されている。
天守閣から西の丸・紀ノ川を望む
天守閣から本丸跡を望む
和歌山中心部にそびえる天守閣
 
和歌山県庁前から和歌山城を振り返る。